奉献生活:教会への贈り物

 奉献生活の世界的な現存とその証の福音的本性とは もしも問われるとすれば 奉献生活が社会から孤立したはみ出しものではなく、むしろ教会全体に影響を与える一つの現実であるということの明白な証拠となる。シノドスに参加した司教たちは、しばしばこのことを繰り返し断言した:「(奉献生活は)わたしたちに関する問題である」(de re nostra agitur)、「これは、わたしたち全員に関わるものである」と。実際、教会の使命の決定的な要素として、奉献生活はまさに教会の核心にある。なぜなら奉献生活は、「キリスト者の召命の内的な本性」と、花嫁としての教会全体がそのたった一人の花婿のところに向かおうとする努力とを明白に示しているからである。シノドスでは幾つかの機会に、次のことが表明された。奉献生活は、過去において教会を助け教会の支えとなったばかりでなく、現在においても、そして将来においても、神の民のためになくてはならぬ貴重な賜物である。なぜなら奉献生活は、教会の生活と教会の聖性そして教会の使命とにとって切っても切れない部分をなしているからである、と。

多くの修道会が世界の幾つかの地域で遭遇している現在の諸困難は、福音的勧告の宣立が教会生活の不可欠の部分であり、福音への忠実さをたえず増すために是非とも必要な促進剤になっているという事実を疑問視させるものではない。奉献生活は、その歴史的形態において今後もさらに変化するかも知れない。しかし、主イエズスへの愛と、人類家族のすべての成員へのキリストにおける愛とのための徹底的な自己譲渡のうちにその表現を見る生路の選択は、実質的にまったく変わらないであろう。幾世紀にも渡って無数の諸個人を鼓舞してきたこの確信は、キリスト者の人々を絶えず元気づけている。なぜならかれらは、これらの惜しみなく寛大な精神の持ち主たちの貢献から、天の故郷へと向かう自分たちの旅のための強力な支えを引き出すことができるのを知っているからである。