福音的勧告:三位一体の賜物

 

20 福音的勧告は、このように、何よりも聖なる三位一体の賜物である。奉献生活は、おん父が、おん子をとおして聖霊において、ご自分の愛と慈しみ、そして美しさとによって成し遂げようとするものを宣言する。実際、「修道者の身分は、神の国の超越性と地上のすべてのものに勝るその必要性とを明らかにする。修道者の身分は、教会のなかで働きながら、王たるキリストの力の圧倒的な偉大さと、聖霊の無限の力とを、すべての人々に驚くべき仕方で示すのである」。

奉献生活の第一の義務は、神によってなされた驚くべきことのかずかずを、召された者たちの脆い人間性のなかで見えるようにすることである。かれらは、これらの驚くべきことを言葉によって証するばかりでなく、世界を驚かすことのできる変容された生活の雄弁な言葉によっても証する。かれらは、主がご自分の愛する者たちのなかで成し遂げられた驚くべき恵みを宣言することによって、人々を驚かす。奉献生活を営む人たちは、()霊によって完徳の高みへと導かれるにつれて、こう叫ぶことができる。「わたくしはあなたの恵みの美しさを見ます。わたくしはその輝きを観想します。わたくしはその光を照り返します。わたくしは、その言いようのない輝きの虜になりました。わたくしは、自分の外に連れ出され、自分のことを考えます。わたくしには、自分がどのような者であったか、そして何になったのかがわかります。ああ、何という驚異! わたくしは目を見張り、わたくし自身への畏敬、敬意、畏れに満たされています。わたくしはあたかもあなたのみ前にいるかのように、わたくし自身の前にいます。わたくしは何をすべきかわかりません。わたくしは畏れに捕らわれています。わたくしはどこに座るべきか、どこへ行くべきか、あなたのものとなったこの肢体をどこへ置くべきかを知りません。一体どのような行いに、一体どのような業に、これらの肢体を使えばよいのでしょうか、これらの驚くべき神的な奇跡を!」 奉献生活はこのようにして、三位一体が歴史に刻みつけた触知できる印章となり、人々は神的な美の魅力を、憧れの念を抱きつつ、感知することができるのである。