奉献生活への感謝

 教会における奉献生活の役割はとても重要である。そこでわたくしはシノドスの召集を決定し、奉献生活の意味とその将来の展望とを、特に来るべき千年紀を視座に入れながら、深く検討させることにした。わたくしの望みは、シノドスの会議に、司教とともに、さらに奉献生活を営む相当数の男女の人たちが参加して、共同の省察に貢献することであった。

わたしたちはみな、奉献生活の賜物が、その多様なカリスマと諸修道会とにおいて教会共同体に提示する宝を知っている。わたしたちはともに、神に感謝しようではありませんか  観想や使徒職の諸事業に献身する修道会のゆえに。使徒的生活の会のゆえに。在俗者会のゆえに。そしてその他の、奉献生活を営む人たちの諸集団、ならびに心の奥底で特別の奉献をすることによって神に身を捧げる諸個人のゆえに。

シノドスは、世界中の地方教会に現存する奉献生活の普遍的的広がりを手に触れる形で示すしるしであった。奉献生活は、世界のさまざまな地域における福音化の広まりを鼓舞し、そしてそれに随伴している。外来の諸修道院が世界の各地で感謝のうちに受け入れられ、また新たな諸修道院がとても多様な形態と表現のうちに設立されつつある。

このように世界のある地域では、奉献生活を営む諸修道院が困難の時期を経験しているように見える反面、他の地域では、それらが注目すべき活力をもって繁栄しているのである。このことは、神へのキリストにおける全面的な自己譲渡の選択が、いかなる人間文化とも歴史的状況とも、決して両立不可能なものではないということを示している。奉献生活はまた、カトリック教会のなかだけで栄えているのではない。事実、奉献生活は、正教の諸教会の修道制のなかで際立った活気を呈しているのである。正教の諸教会においては、奉献生活は、かれらの生活の本質的な特徴となっている。また奉献生活は、宗教改革に端を発する諸教会や諸教会共同体に根を張り始めており、あるいは再び出現しつつある。奉献生活は、キリストのすべての弟子によって共有されるべきひとつの恵みのしるしとなっているのである。この事実は、「この世が信じるために」(Jn.17:21)キリスト者たちの間で交わされるべき一層完全な交わりへの願望を育成する教会一致運動に弾みをかける。