「おん父からおん父へ」:神の主導権

 

17 ご変容のイコン(icon)における主イエスの栄光の観想は、奉献生活を営む人たちに、すべての善きものの創造者であり与え主であるおん父、特別の愛を抱きつつ特別の使命のために、ご自分の被造物をご自身に引き寄せる(cf. Jn 6:44)おん父を先ず第一に開示する。「これは、わが愛する子。かれに聞け!」(cf.Mt 17:5)。この呼びかけとそれに伴う内的な引力に応えて、呼びかけられた者たちは、かれらがひたすらご自分の奉仕のために働くことをお望みになる神の愛に、自分たちを委ねる。そしてかれらは自分たちを、神と神の救いのご計画とに全面的に奉献する(cf. 1 Cor 7:32-34)

これが、奉献生活への召し出しの意味である。それは、あらゆるものに先立って先ず第一におん父から来る招きである(cf.Jn 15:16)。おん父は、ご自分が選んだ人たちがわき目もふらぬ完全な献身によって応えるように求めている。神のこの恵みに満ちた愛の体験は非常に深くかつ強力なので、召し出された者は、自分自身を無条件で神に捧げ、現在と未来のすべてを神に奉献し、それらを神のみ手に置くことによって、応える必要を感じる。このようなわけでわたしたちは、聖トマスとともに、自分自身の完全な自己奉納によって始まる奉献生活の独自性を、純正な全燔祭の供え物になぞらえられるものとして理解するのである。