奉献生活の新しい表現

12 教会の永続的な若々しさは、今日でも明白であり続けるている。近年、第二バチカン公会議に従って、奉献生活の新たなあるいは刷新された諸形態が生まれた。多くの場合、これらの会は、既存の修道会と似ているが、新しい霊的かつ使徒的衝動によって鼓舞されている。それら会の活気は、教会の権威によって判断されなければならない。教会は、それらの会の創設の目的の真正さを識別し、互いに似通った修道会の増殖を防止するために、それらの会を吟味する責任を持っている。似通った修道会の増殖は、過度に小さな集団への有害な断片化の危険を伴うのである。他の場合には、教会内における独自性を求め、使徒座からの公式の承認を待つ新しい試みが問題になる。使徒座だけが、これらの諸問題に最終的な判断を与えることができる。

今日、古い形態の奉献生活と並んで独自の地位を確保しつつあるこれらの新しい形態の奉献生活は、主への全面的な自己譲渡や使徒的共同体の理想、そして会を創設したもろもろのカリスマが、現代の世代に対しても及ぼし続ける絶えざる魅力を証している。またこれらの新しい形態の奉献生活は、聖霊のかずかずの賜物がいかにして互いに補い合うかを示している。

しかしながら(聖)霊は、この新しさのなかで自己矛盾に陥いらない。新しい形態の奉献生活が、既存の奉献生活に取って代わるものでなかったというのがその証左である。そのような広い多様性のなかにあっても、完全な愛徳を追求しつつ、キリスト 貞潔で貧しく従順な方 に従うという唯一の召し出しのおかげで、基礎的な統一性は首尾よく保たれてきた。既存のすべての形態の奉献生活に見出されるこの召し出しは、新たなものとしてみずからを提示する新しい形態の奉献生活をも特徴づけるものでなければならない。