霊における師父

13. 一般に修道者の行程には、個人的な努力だけが記されているのではありません。修道者は、霊的師父に準拠しています。修道者は、息子の信頼をもって霊的師父に身を寄せ、霊的師父の中に神の優しく厳しい父性が現れていると確信しています。(霊的師父の)このような姿は、東方の修道制に並外れたしなやかを与えています:実際、霊的師父の働きを通して、各修道者の道程は、神を探し求める時間と律動と様式の中で強度に主体化(personalisé)されるのです。まさに霊的師父が結合と統一の中心になっているということが、共住修道生活であれ隠修修道生活であれ、修道生活の極めて多様な表現を(東方の)修道制に与えているのです。このようにして東方における修道制は、教会の歴史の様々な時期に、それぞれの教会の数々の期待の一つの実現となることができたのです。

このような探求を通して東方は、(聖)霊が霊的指導の賜物を惜しみなく与えた兄弟姉妹のいることを、特別な仕方でわたしたちに教えています:これらの兄弟姉妹は、貴重な準拠点を成しています。なぜならかれらは、神がわたしたちを見るのと同じ愛の眼差しで物事を見るからです。他の人たちに指導されるために自分自身の自由を放棄することは、問題にはなりません:心の認識――この認識は本当にカリスマです――によって真理の道を発見するために、優しく堅固に助けられることが肝要なのです。わたしたちの世界は、そのような霊的師父たちを極度に必要としています。この世は、しばしば霊的師父たちを拒否してきました。なぜなら霊的師父たちは、この世にはほとんど信じ難いもの、あるいはかれらの模範は、時代外れで同時代の感性にとってほとんど魅力のないように思われたからです。にもかかわらずこの世は、新たな師父を探そうと腐心しています。そして模範も準拠点もなしに、恐れと不安の中で苦しんでいます。(聖)霊において父である人は、もしもその人が本当にそのようなものであるならば――そして民はいつも、そのような人を認めることができることを示してきました――頼ってくる人たちを自分と似たような者にするのではなく、かれらがみ国へと通じる道を見出すのを助けてくれるでしょう。

西方もまた、(聖)霊における指導の賜物を保ち高く評価されることを待っている男女の修道生活のすばらしい賜物を受け取りました。この領域で、そして恵みがこのように内的成熟の貴重な諸手段を生じさせる所ならどこででも、この恵みに応える人たちはこの賜物を培い高め、みながその賜物を生かせるようにしてもらいたいものです:こうしてこれらの人たちは、(聖)霊における父性が自分たちの信仰の歩みのために提示する慰めと支えとを体験するようになるでしょう。