諸方法

 

これらの緒原則に基づくと、現在化のさまざまな方法が利用可能となる。

聖書それ自体のなかで既に行なわれていた現在化は、ユダヤ伝承のなかで、タルグム(Targums)とミドラシュ(Midrashim)のなかに見出されるもろもろの手続きを通して継続された:平行個所の追求(gezerah shawah)、本文の読みの修正('al tiqrey)、第二の意味の採用(tartey mishma')、等々。

他方で、教会の教父たちは、聖書本文を自分たちの時代のキリスト者たちの状況に適した仕方で現在化するために、予型論と比喩法とを使用した。

現代の現在化の試みは、考え方の変化と解釈法の進歩との両方を考慮に入れるべきである。

現在化は、本文の正確な解釈を前提にし、この解釈の一部は、文字どおりの意味を決定することである。解釈上の手続きに関して訓練を受けていない人たちが現在化の作業に関わるときは、聖書の善き入門書に頼るべきである;このようにすれば、かれらの解釈は、正しい方向に進展することを確実にされよう。

上首尾の現在化に到達するより確実で前途有望な方法は、聖書による聖書の解釈である。特に、旧約聖書それ自体(たとえば、 知恵の書16:20-29における出エジプト16のマナ)のなかで、そして/あるいは、新約聖書(John 6)のなかで再読された旧約聖書本文の場合がそうである。キリスト教生活における聖書本文の現在化は、キリストと教会との神秘との関係のなかでのみ正しく進展するだろう。たとえば、旧約聖書のなかだけから引き出されたエピソードを(Exodus; 1-2 Maccabees)、解放のための闘争のモデルとして、キリスト者たちに提示することは不適切であろう。

現在化のおかげで、聖書は、たくさんの現在の諸問題に光を注ぐことができる:たとえば、奉仕職のさまざまな形態の問題、交わりとしての教会の意味、貧しい人たちへの優先的な配慮、解放の神学、女性の地位。現在化はまた、人権、人間生活の保護、自然保護、世界平和の希求などの、現代世界がますます意識するようになった諸価値にも対応することができる。