1 諸原則

 

現在化は、次の基本的諸原理に基づいている:

現在化は可能である。なぜなら聖書の本文のなかに含まれる意味の豊かさは、あらゆる時代と文化とに対して妥当な価値を本文に与えているからである(cf Isa 40:8; 66:18-21; Matt 28:19-20)。聖書の使信は、各世代の価値体系と行動規範とを相対化すると同時に豊かにすることができる。

現在化は必要である。なぜなら聖書の本文の使信は、永続的な価値を持っているとはいえ、過去の諸状況のなかで、そしてさまざまな時代と時期によってによって条件付けられた言語によって作成されているからである。今日の男女にとってのそれらの本文の意味を明らかにするには、それらの本文の使信を同時代の状況に適応し、これを現代に合った言葉で表現する必要がある。これは、解釈学的な努力を前提とする。この努力の目的は、歴史的制約を越えて、使信の本質的な諸点を定めることである。

現在化の作業は、キリスト教の聖書のなかに存在する二つの契約の書の複雑な関係を常に意識しておくべきである。というのは、新約聖書は、旧約の成就であるとともにその凌駕としてみずからを提示しているからである。現在化は、このようにして打ち立てられた力動的な統一と軌一にして行われる。

現在化の任務を激励するのは、信仰共同体の生ける伝統である。この共同体は、聖書を生み出し聖書を守り聖書を伝えた諸共同体との明白な連続性の内にみずからを位置づける。現在化の過程で、伝統は、二重の役割を果たす:一方で、それは、逸脱した解釈に対する防御を提供する;他方で、それは、本来的な躍動感の伝承を保証する。

したがって現在化は、本文の改竄を意味し得ない。新しい見解や観念論を聖書本文に投影することが問題なのではなくて、本文が現時点で言うべきものを発見しようと誠実に勤めることが問題なのである。聖書の本文は、いかなる時代にもキリスト教会に対する権威を持っている。そしてその作成から幾世紀も経ってしまったが、聖書本文は、改竄を許さぬ特権的な指導の役割を保持し続けている。教会の教導職は、「神のみ言葉の上に立つのではなく、それに仕え、伝えられたものだけを教える;神の委託によって、聖霊の助けのもとに、教会は、愛をもって聖書に耳を傾け、聖性の内に聖書を見守り、忠実にそれを説明する」(Dei Verbum, 10)。