解釈と組織神学

聖書は、唯一の神学的論拠(locus theologicus)とはならずとも、神学的諸研究の特権的な基礎を提供する。学術的正確さと厳密さをもって聖書を解釈するには、神学者たちは、解釈者たちの作業を必要としている。他方、解釈者たちは、「聖書研究」が本当に「神学の精髄のように」(Dei Verbum, 24)なることができるよう、かれらの研究を方向づけなければならない。このことを達成するために、かれらは、聖書の各書の宗教的内容に特別の注意を払うべきである。

解釈者たちは、組織神学者たちが二つの極端を避けるのを助ける:一方は、教義的真理をその言語表現から、あたかも後者が何の重要性もないかのように、完全に切り離すことになる二元論;他方は、人間的なものと神的なものとを混同して、人間の言説の偶発的な諸特徴まで啓示された真理であると考えようとする原理主義。

これらの極端を避けるには、分離することなしに区別すること――したがって連続的な緊張を受け入れることが必要である。神のみ言葉は、人間の著者たちの作業のなかに表現を見出す。思想と言葉は、神と人間とに同時に属しており、聖書全体は神と霊感を受けた人間の著者とから同時に由来するものとなっている。しかしながらこのことは、神が使信の歴史的制約に絶対的な価値を与えていたということを意味しない。その使信は、解釈に開かれ、最新化されることを受け容れる――これは、それがある程度過去の歴史的制約から解き放たれ、現在の歴史的制約のなかに移植されることを意味している。解釈者はこの操作の基礎作業を遂行し、組織神学者は、教義の発展に貢献するその他の数々の神学的論拠(loci theologici)を考慮に入れながら、この基礎作業を継続するのである。