4 公表活動

 

研究の成果そして教授の補助として、公表活動は、解釈作業の進展と普及に非常に欠かせない役割を演じている。活字印刷を越えて、今日出版活動は、他のもっと強力で迅速な伝達手段を含んでいる(ラヂオ、テレビ、その他の電子媒体);これらの手段の使い方を知ることはとても便利である。

研究に従事している人たちにとって、高い学術的水準の公表活動は、対話と討論と協力の主要な手段である。カトリックの解釈者たちは、この活動を通して、他の解釈研究の中心施設ならびに学術界一般とやり取りすることができるのである。

十分に教育された者から要理教育の年齢の子供たち、聖書の集い、使徒的運動、修道会に至るまでの多様な読者に適応できる能力のゆえに非常に大きなサービスを提供できる、本性的により短期間のものであるが、もう一つの公表活動の形態がある。大衆化への賜物を持った解釈者たちは極めて有益で実り豊かな作業を提供する。これは、解釈研究の実りがニーズに応えるためにできるだけ広範に普及されねばならないとすれば、不可欠の作業である。この領域では、聖書の使信を今日にとって何かしら現実的なものにする必要が、一層明らかとなる。このことは、次のことを必要とする。すなわち解釈者たちは、われわれの時代の教養ある人たちの理に適った諸要求を考慮に入れ、かれらのために、聖書のなかで何が、特定の時代によって条件付けられた二次的記述と見なされねばならないのか、何が神話の言語として解釈されねばならないのか、そして何が真に歴史的で霊感を受けた意味と見なされねばならないのかを明瞭に区別することが求められているのである。聖書の各書は、現代の言葉でも二十世紀の様式でも作成されたものではない。ヘブライ語やアラム語、ギリシア語で使用された表現様式と文学類型が、今日の男女の人たちに意味あるものとされなければならない。さもなければかれらは、聖書に対するすべての関心を失い、あるいは逐語的ないしは単なる空想に過ぎない単純な仕方で、聖書を解釈する誘惑に駆られることになろう。

これらの多様な任務のすべてにおいて、カトリックの解釈者は、神のみ言葉に使えるという以外の目的を持たない。解釈者の目的は、聖書本文に代えて、霊感を受けた著者たちによって使用された古代史料の再構築とか、解釈学の最新の成果の当世風の提示といった自分自身の作業の成果を打ち立てることではない。それどころか解釈者の目的は、聖書本文それ自体により多くの光を注ぎ、それらの本文がそれ自体の内容のゆえによりよく評価され、より歴史的な正確さと霊的な深みをもって理解されるように助けることなのである。