研究

解釈の任務は、単独で作業する個人の研究者によって首尾よく果たされるにはあまりにも大きな任務である。それは、特にさまざまな領域の専門家を必要とする研究において、作業の分割を求めている。学際的な協働は、専門化がもたらしがちな限界を克服するのに役立つだろう。

よく準備された十分な数の人たちが解釈研究のさまざまな領域で研究に打ち込むことは、教会全体の全益にとっても、現代世界でのその影響にとっても、とても大切である。司教たちや修道会の諸長上は、奉仕職のより直接的な必要への関心に駆られて、この根本的な必要に応えなければならないというかれらに課せられた責任を、しばしば充分真剣に引き受けない誘惑に駆られている。しかしこの領域での欠如は、教会を重大な害悪にさらす。というのは司牧者たちと信者の人たちは、教会とは無縁で信仰生活との関係もない解釈学的な学識の虜になる危険を冒すからである。第二バチカン公会議は、「聖書の研究はいわば神学の精髄である」と述べたとき、解釈上の研究の決定的な重要さを指摘したのである。さらにこの公会議は、カトリックの解釈者たちに、かれらの研究は神学と本質的な関係を有しており、またかれらのこの点についての自覚も明瞭にならなければならないことを、暗に思い起こさせている。