主要な方針

カトリックの解釈者たちは、聖書の啓示の歴史的性格に正当な配慮をしなければならない。というのは、二つの契約の書は、それぞれの時代の刻印を帯びた人間の言葉で、神によってさまざまの仕方で伝えられた歴史的啓示を表明しているからである。したがって、解釈者たちは、歴史的批判的方法を使用しなければならない。しかしながらかれらは、その方法だけに妥当性を与えることはできない。本文の解釈に関係するすべての方法が、聖書解釈に貢献する資格を有しているのである。

カトリックの解釈者たちは、自分たちの解釈の作業において、自分たちの解釈しているものが神のみ言葉であることを決して忘れてはならない。かれらに共通の任務は、単に資料を定め、形式を決定し、あるいは文学的手続きを説明するだけで終了するのではない。かれらが神のみ言葉としての聖書本文の今日的意味を説明したときにのみ、かれらは自分たちの作業の真の目標に到達する。この目的のために、かれらは、聖書の使信の同時代的な意味を把握するのを助けるとともに、その意味を、今日の聖書の読者の人たちの数々の必要に応えさせるさまざまな解釈学的視野を考慮に入れなければならない。

解釈者たちはまた、聖書本文のキリスト論的正典的そして教会的意味を説明すべきである。

聖書本文のキリスト論的意義は、必ずしも明らかではない;それは、可能な時にはいつでも、明らかにされねばならない。キリストはご自分のおん血において新しい契約を立てられたとはいえ、最初の契約の諸書は、その価値を失ってはいない。最初の契約の諸書は、福音の宣言のなかに取り入れられることによって、「キリストの神秘」(Eph 3:4)のなかで充全な意味を獲得し表示する;それらの書は、この神秘の多様な側面に光を与えるとともに、逆にこの神秘によって照らされている。事実、これらの書は、神の民をして神の到来に備えさせるの助けをしたのである(cf Dei Verbum, 14-16)。

聖書の各書は、それぞれ独自の目的を視野に入れて書かれ、特殊な意味を有しているが、それが全体としての正典の一部となると、より深い意味を持つようになる。したがって解釈の任務には、アウグスティヌスの金言の真理を明らかにすることが含まれている:

"Novum Testamentum in Vetere later,

et in Novo Vetus patet"

「新約は、旧約のうちに隠れ、

旧約は新約のうちに明らかになる」

(cf Quaest. in Hept., 2, 73: CSEL 28, III, 3, p.141).

 

また解釈者たちは、聖書と教会との関係も説明しなければならない。聖書は、諸信仰共同体のなかで誕生した。聖書のなかに、イスラエルの信仰は表現を見出し、後に、初期キリスト教共同体もそのなかに表現を見出した。聖書は、聖書に先立ち聖書に伴い、また聖書によって養われる生きた伝統と一つに結ばれているので(cf Dei Verbum, 21)、それは、神がわれわれの時代においても、神の民としての教会の発芽と生長とを方向づけるためにお使いになる特権的な手段である。聖書のこの教会的次元は、必然的に、エキュメニズムに開かれている。

さらに聖書は、すべての民への神による救いの申し出を語るものであるから、解釈の任務は必然的に、普遍的次元を含んでいる。このことは、他の諸宗教、ならびに今日の世界の希望と不安を考慮に入れることを意味している。