1 社会学的接近法

 

宗教的文書は、それらが生み出された社会との相互関係のうちに拘束されている。このことは、聖書本文に関しては明らかに言える。したがって聖書の科学的研究は、聖書に記録された諸伝統が具体的な姿を取ったさまざまな環境の特徴的な社会的諸条件をできる限り正確に知ることを必要とする。そしてこの種の社会的歴史的情報は、正確な社会学的説明によって仕上げられる必要がある。この社会学的説明は、支配的な社会学的諸条件のそれぞれの場合に対する含意の解釈を提供してくれるであろう。

社会学的観点は、解釈史のなかで本当に一時期、一つの役割を果たした。様式批評が、さまざまな本文の生み出された社会的環境(Sitz im Leben)に向けた注意が、すでにこの証左である:それは、聖書の諸伝承が、それらを伝えた社会的文化的環境のしるしを担っているということを認めたのである。二十世紀の最初の三十年の間に、シカゴ学派は、初期キリスト教の社会的歴史的状況を研究し、それによって歴史的批評に、この方向への著しい弾みを与えた。最近の二十年間に(1970-1990)、聖書本文への社会学的接近法は、解釈の不可欠の部分となった。

この領域で旧約聖書の解釈に対して生起する問題は多様である。たとえば人は、イスラエルがその歴史の過程で経験したさまざまな形態の社会的宗教的仕組みについて尋ねるだろう。民族国家が形成される以前に、断片的で統一的な指導者を欠いていた(acephalous)社会の民族学的モデルが、充分な作業基盤を提供するのか。どのような過程を経て、緩慢に組織された部族連合体が、先ず最初に、組織的な君主国家になり、その後は、単に宗教の絆と共通の家柄の絆とによってまとめられた共同体になったのか。どのような経済的軍事的そしてその他の変容が、君主制へと至る中央集権化によってもたらされたのか。古代中近東とイスラエルの社会的振る舞いを規制する法律の研究は、本文の初期の形態を再構築するための純粋に文学的な試みよりも有益な貢献を、十戒の理解に対して果たすのか。

新約聖書の解釈に関すると、問題は明らかに、幾分異なるであろう。その幾つかをあげてみよう:復活前にイエズスとその弟子たちとによって採用された生き方を説明するために、特定の家も家族もお金もその他の財も持たずに巡回する霊能的な人物たちの運動の理論にどのような価値が与えられるだろうか。イエズスの足跡に従う呼びかけの問題に関して、地上で生活中のイエズスに従うことに含まれている徹底的な離脱と、復活後に初代教会の非常に異なる社会的諸条件のなかで運動するキリスト教の成員たちに求められているものとの間に、本当に連続的な関係があると、われわれは言うことができるのか。われわれはパウロ時代の諸共同体の社会的構造について、その都度関係する都市文化を考慮に入れた上で、何を知るのか。

一般に、社会学的接近法は、解釈の企てを広げ、それに対して多くの積極的な側面をもたらしてくれる。聖書世界の経済的文化的宗教的機能の理解を助けてくれる社会学的データの知識は、歴史批評にとって不可欠である。初代教会の信仰の証言のよりよい理解を獲得するという、解釈者に課せられた任務は、新約聖書の本文と初代教会によって実際に営まれた生活との間に存在する厳密な関係を研究する科学的探求がなければ、充分に厳密な仕方で達成され得ない。社会科学によって提供されるモデルの使用は、聖書の時代を探る歴史的件空に、刷新の著しい能力をもたらしてくれる――もちろん、使用されるモデルは、研究対象の現実に即して修正されなければならない。

ここで、社会学的接近法を解釈に応用することに伴う危険の幾つかを記しておこう。問題はまさに、社会学の作業が現在存在する社会の研究にあるとすれば、その方法を、非常に遠く隔たった過去に属する歴史的社会に応用しようとする際に困難を予想することができるということである。聖書の諸文書および聖書外の諸文書は、その当時の社会の包括的な描写を与えるだけの充分な資料を必ずしも提供しない。さらに、社会学的方法は、人間生活の個人的宗教的次元よりも、その経済的制度的な側面に多くの注意を払う傾向にある。