本文の影響史による接近法(Wirkungsgeschichte)

この接近法は、二つの原理に基づいている:a) 本文は、それを我が物とすることによってそれに命を与える読者に出会うかぎりでのみ文学作品となる;b) 本文のこうした摂取は、個人や共同体の水準で起こり、さまざまな(文学的、芸術的、神学的、修道的、神秘的)領域で具体的な姿を取りうるが、本文それ自体のよりよい理解に貢献する。

古代においてまったく知られていなかったというわけではないが、この接近法は、批評の関心が本文と読者との関係に向けられるようになった1960年と1970年の間に、文学研究において発展した。聖書研究は、この種の研究から利益を引き出すことができるだけであり、このことは、解釈学の哲学が独自の仕方で作品とその著者の必然的な距離、および作品とその読者の必然的な距離を強調しているからには、一層そうである。こうした展望のなかで、聖書の各書ないしは節が生み出した影響史("Wirkungs-geschichte")が、解釈作業のなかに入り始めた。このような研究は、読者が本文に対して抱く関心の影響を受けた解釈の時の流れにおける発展を評定しようとする。それはまた、聖書本文の意味を見出す際に伝統によって為されてきた役割の重要性を評価しようとする。

本文と読者の相互の対面は、独自の力動感を造り出す。というのは本文は、影響を及ぼし、その応答を喚起するからである。それは、読者である個人あるいはある集団の成員たちによって聞かれる共鳴する主張となる。読者は、どのような場合でも、孤立した主体では決してありえない。読者は、ある社会的な文脈に属し、ある伝統のなかで生活している。読者は、独自の問いを抱きながら本文に当たり、何らかの選別を行い、何らかの解釈を提示する。そして最後には、聖書の読書から直接に着想を得ながら、更に立ち入った作品を作り出すことができるのであり、あるいは率先的な行動を取ることができるのである。

明らかにそのような接近法の例は、すでにたくさんある。雅歌の読書史は、みごとな実例を提供している:この読書史は、どのようにしてこの書が教父時代に受け取られ、どのようにして中世教会の修道院のサークルないで受け取られたかを示すであろう。さらにそれは、どのようにしてその書が、十字架の聖ヨハネのような神秘主義的著作家によって取り上げられたかを示すであろう。こうしてこの接近法は、このような作品のなかに含まれる意味のすべての次元を開示するためのよりよい機会を提供してくれる。同じく新約聖書においても、聖書の文句が教会史の全過程を通じてどれほど実り豊かな影響を持っていたかを指摘することによって、(たとえばマタイ19:16-26の金持ちの若者の個所のような)節の意味に光を当てることは、可能であるとともに有益である。

同時に歴史は、偏向に富み誤った、そしてその結果において有害な解釈がことある毎に流行したことも例証している――たとえば、反ユダヤ主義やその他の形態の人種差別を助長した、あるいはまたさまざまな種類の先年至福説の妄想を助長した解釈があった。このことは、この接近法が純粋に自律的な学科を構成できないことを示すのに役立っている。識別が必要である。本文の影響史のあれこれの段階を特権的な地位に就け、それをすべての時代に通用する解釈の唯一の規範としないように配慮しなければならない。