教会における聖書解釈についての

教皇ヨハネ・パウロ二世の演説

 

この演説は、1993年4月23日の金曜日、レオ十三世の回勅『すべてを見とおされる神』(Providentissimus Deus)の百周年とピウス十二世の回勅『神の霊の息吹』(Divino Afflante Spiritu)の五十周年を祝う聴聞会の過程で行われた。両回勅とも、聖書研究に捧げられている。

聴聞会は、ヴァチカン宮殿のクレメンスの間で、枢機卿、聖座に派遣された外交団、教皇庁聖書委員会、そして教皇庁立聖書研究所の教授たちの列席のもとに開かれた。

聴聞会の過程で、枢機卿ヨーゼフ・ラッチンガーは、『教会における聖書解釈』と題する聖書委員会の文書を教皇に提出した。

 


 

枢機卿の皆さま、

外交使節団の長の皆さま、

教皇庁聖書委員会の会員の皆さま、

教皇庁立聖書研究所の教授の皆さま、

 

1. わたくしは、ラッチンガー枢機卿が数分前に、教皇庁聖書委員会によって準備された『教会における聖書解釈』についての文書を提出するときに示してくださったかれの誠意に心より感謝申し上げます。わたくしは、喜んでこの文書を受け取ります。この文書は、猊下の文書に基づいて着手された共同作業の実り、猊下の指導の下に着手され数年に渡って根気強く続けられた共同作業の実りであります。この文書は、わたくしが痛切に感じる関心に応えるものであります。と申しますのは、聖書の解釈は、キリスト教の信仰と教会の生活とにとって決定的な重要性を持っているからであります。公会議がわたしたちにみごとに思い起こさせておりますように、「天にましますおん父は、聖書のなかで、深い愛情をもってご自分の子らに会い、かれらと話をします。そして神のみ言葉には、教会にとっては支えと活力、教会の子どもらにとっては信仰を強める力、魂の糧、霊的生活の清く尽きない泉となる威力と能力が備わっているのです」(Dei Verbum, n.21)。今日の男女にとって、聖書の本文を解釈する仕方は、神との人格的および共同体的関係に直接的な影響を及ぼしています。そして解釈の仕方は、教会の使命とも密接に関連しています。ある重大な問題が論争の的となっており、それはあなたが大いに注目するに値するものでした。

 

2. あなたのお仕事は、とてもちょうど好い時の終わりました。と申しますのは、あなたのお仕事は、わたくしに、あなたとともに二つの意味深い記念祭を祝う機会を与えてくれたからであります:それは、回勅『すべてを見とおされる神』の百周年祭と回勅『神の霊の息吹』の五十周年祭であります。1893年11月18日、教皇レオ十三世は、知的な諸問題をとても気遣い、かれが申しますには「聖書研究を奨励し激励し」、「聖書研究を時代の必要によりよく応えるように方向づける」(Enchiridion Biblicum, n.82)ことを目的にして、聖書研究に関するご自分の回勅を発布いたしました。この五十年後に教皇ピウス十二世は、『神の霊の息吹』のなかでカトリックの(聖書)解釈者たちをさらに激励し、新しい指針を与えました。その間、教皇職は、数多くの介入を行って聖書研究に絶えず関心を示してまいりました。1902年、レオ十三世は、聖書委員会を設立しました;1909年には、ピウス十世が聖書研究所を創設いたしました。1920年には、ベネディクト十五世が、聖書解釈に関する回勅によって、聖ヒエロニムスの死後千五百周年を祝いました。このように聖書研究に与えられた強い弾みは、第二バチカン公会議によっても十分に確認されました。全教会が聖書研究の恩恵をこうむったほどだからです。『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum)は、カトリックの(聖書)解釈者たちの仕事を説明し、司牧者と信者の皆さんに、聖書に含まれている神のみ言葉から一層大きな糧を得るように招いています。

今日わたくしは、これら二つの回勅のなした貢献からもっと多くの利益を得るために、これらの回勅の教えの幾つかの側面と、変遷する状況のなかにあっても変わらぬこれらの回勅の指針の妥当性に光を当ててみたいと思います。