第四章
信仰と理性の関係について
信仰と理性の出会いの特別な諸段階
36.使徒行禄が証しているように、キリスト教の使信はその始めから、その時代の哲学的な諸教説と衝突していた。同書は、アテネにいたパウロが幾人かのエピクロス派とストア派の哲学者たちと交わした論争を語っている(17,18)。アレオパゴスで行われたこの討論の解釈学的な検討は、取り分けストア派起源の様々な通俗的見解が言及されているのを明らかにした。確かにこのことは、偶然に行われたのではなかった。最初のキリスト者たちは、異教徒たちに正しく理解されるために、その討論の中で聞き手の人々を「モーセと預言者たち」だけに差し向けることはできなかったのである;彼らは更に、神の自然的認識と万民の道徳的意識の声に基づかねばならなかった(cfr Rom 1,19-21; 2,14-15; Act 14,16-17)。しかしこの自然的認識は、異教徒たちの下で偶像崇拝に陥ってしまったので(cfr Rom 1,21-32)、使徒は、作り話や秘教的な祭儀に始めから反対して神の超越性を一層尊重する諸概念を主張した哲学者たちの教説に、自分の話を結びつけることがより賢明であると考えた。
古典的な教説の哲学が抱いた主要な目論見の一つに、人々が神について表明した諸観念を神話的な諸形態から浄化することであった。周知のように、ギリシアの宗教も、大多数の宇宙的諸宗教と異ならず多神教を表明していた。その結果、自然的な物事が神々に数え入れられた。神々の起源と共に宇宙の起源を知るための人間の努力は、詩歌にその最初の表現を見出した。神々の諸起源は、今日に至るまで、この人間の探究の最初の表現である。理性と宗教の結び付きが明らかになるように図ることことが哲学の諸教父の任務であった。実際、彼らは、普遍的な諸原理にまで視野を広げるにつれて、古代の数々の作り話にはもはやじっとしていられなくなり、神性ついての自分たちの信仰を理性的な基礎によって支えることを望んだのであった。こうして古代の特殊な諸伝承を捨てて、普遍的な理性の諸要請に相応しい進歩に通じる旅路が採られた。この進歩が向かう目標は、信じられている諸々の事柄の批判的な判断であった。神性の最初の観念がこの旅路において利益をもたらした。迷信が迷信そのものとして認知され、宗教は少なくとも部分的に、理性的認識によって浄化された。このような基礎に支えられて、教会の教父たちは、古代の哲学者たちと実り豊かな討論を開始し、キリスト・イエズスの神の布告と認識とに通じる旅路を開いたのである。
37.キリスト者たちを哲学へと接近させたこの運動に触れるとき、異教文化の他の諸要素、たとえば「グノーシス主義」の教えがキリスト者たちのもとに喚起した用心深さの状態を正しく思い起こすのがよい。実践的な智恵そして生命の学校としての哲学は、完成の域に達した少数の人々に取って置かれたより高級な秘教的性質の知識と容易に混同され得たのである。疑いもなくパウロは、コロサイの人たちに次のように警告するとき、この類の秘教的思弁を念頭に置いていたのである:「哲学や空しい欺瞞によって、誰もあなたがたを虜にすることのないように注意しなさい。それは、人間の言い伝えや世界の諸要素によるもので、キリストによるものではありません」(2,8)。然るべき批判的感覚を欠いた幾人かの信者の人たちの心の中に今日広まっている秘教の様々な形態に、使徒の言葉を当てはめると、この使徒の言葉は、どれほど今の時代に合っていることか。聖パウロの足跡に従いながら、一世紀の他の著作家たち、特にイレネウスとテルトゥリアヌスもまた、啓示の真理を哲学者たちの解釈に従属させようとしていた文化的目論見に制限を置いたのである。
38.キリスト教と哲学との出会いは、直接的なものでもなかったし、容易なものでもなかった。哲学の慣行と諸学派との度重なる接触は、最初のキリスト者たちにとって利点というよりも混乱として見られた。彼らの第一のそして差し迫った任務は、死者の内から復活したキリストの使信を告げ知らせることであった。この使信は、ここの人々に提示され、彼らを心の回心と洗礼の望みへと導くものであった。しかしながらこのことは、彼らが信仰の認識とその信仰の諸理由を吟味する任務を知らなかったということを意味しない。事態はまったく別である!キリスト者を「誰も彼も無学であることこの上なく、最も粗野である」(31)として敢えてけなしたケルソスの批判は、不当でありでっち上げであることが明らかとなる。この初期の軽視の理由は、別のところに求められるべきである。実際、福音書の朗読は、それまで決して解決されたことのない生命の意味に関する問いに、充分な回答を与えたので、哲学者たちとの頻繁な接触は過去のことであり、またある意味で乗り越えられたと思われていたのである。
このことは今日、真理への接近の普遍的権利を主張するキリスト教の貢献に思いを馳せるなら、一層明瞭になる。人種や社会的階級や性の障壁を駆逐しながら、キリスト教はその始めから、神の前でのすべての人々の平等を告げてきた。この概念の第一の帰結は、真理の主題に関係していた。こうして、古代人の間で真理の探究に留保されていた上流社会の観念は、明らかに乗り越えられた。実に真理への接近は神へと導く善なのであるから、この走破されるべき道は、万人に明らかにされねばならなかった。真理に通じる道は、多様である;しかしながらキリスト教の真理は救いをもたらす力を持っているが故に、それらの道が究極的な目的、すなわちイエス・キリストの啓示に通じるという条件で、それらの道のいずれをも走破することができるのである。注意深い慎重さが取られていたとはいえ、哲学的教説との積極的な結び付きを促進した先駆者たちの一人として、聖ユスティヌスが銘記されねばならない:彼は、ギリシア哲学に対する最高度の評価を公言しながらも、キリスト教の中に「ただ一つ確実で実り豊かな哲学」(32)を見出したと力強くそしてきっぱりと主張した。同様にアレクサンドリアのクレメンスは、福音を「真の哲学」と呼び、哲学をモーセの律法と同じように、キリスト教信仰への予備的な教え(34)そして福音への準備(35)のようなものと解釈した。「哲学は、魂と言葉との廉直さの中に、そして生活の完全性の中にある智恵を求めているので、智恵に対してよく備え、智恵の獲得に全力を尽くしている。我々の間では、哲学者たちは、すべてのものを造りすべてのものを教える智恵、すなわち神のおん子の知識を愛する人たちと言われている」(36)。アレクサンドリアの著作家によると、ギリシア哲学の第一の目標は、キリスト教の真理を完成するあるいは確証することではない;むしろその使命は、信仰を護ることである:「実に救い主の教えは、それ自体で完全であり、何物をも必要としない。なぜなら救い主の教えは、神の力であり智恵だからである。しかしギリシア哲学が近づいてきたとしても、それは、真理をより強力にするものではない;哲学は、真理に対するソフィストたちの議論を無力にし、真理に対する狡猾な罠を跳ね除けるのであるから、哲学は、ぶどう畑の適切な垣根であり柵であると言われる」(37)。
39.この進展が進むにつれて、キリスト教の論争家が哲学思想を慎重に取り入れたことを見ることができる。見出すことのできる最初の例の中で、オリゲネスの例は確かに意義深い。哲学者ケルソスからの数々の攻撃に対して、オリゲネスは、彼に対して論証し答えるために、プラトン哲学を利用した。オリゲネスは、プラトンの教えの少なからざる諸要素を援用しながら、キリスト教神学の試みを考え始めた。実際、神に関する理性的な議論としての神学の言葉それ自体が、その概念と共に、当時までギリシアの起源に結び付けられていた。たとえばアリストテレスの哲学によると、神学は、哲学的議論のより高貴な部門の名前であり、真の頂点を意味していた。ところがキリスト教の啓示の光の下で、始めは概して神々の本性に関する教えを意味していたものは、まったく新しい意味を持つようになった。すなわちそれは、信者が神に関する真の教えを提示するために行なった考察を表すようになった。既に広まっていたこの新しいキリスト教的概念は、哲学に依拠していたが、同時にみずからを哲学から切り離すように少しずつ気を配るようになった。歴史は、神学に取り入れられたプラトンの教えが、取り分け魂の不死性と人間の神化そして悪の起源に関する諸概念に関して、深い変化を受けたことを教えている。
40.プラトンの教えと新プラトンの教えとが徐々にキリスト教化される過程の中で、特別な記憶に値するのは、カッパドキアの諸教父と、アレオパゴタと言われたディオニュジウス、そして特に聖アウグスティヌスである。西方の偉大な博士は、哲学の様々な学派と対話することができた。しかし彼は、これらによってすべての希望を絶たれた。しかしキリスト教信仰の真理が彼に現れたとき、彼が足繁く尋ねた諸々の哲学が導くことのできなかった絶対的な回心を思いきって成し遂げる勇気が与えられたのである。彼自身がその理由を物語っている:「しかしそれ故にまた、私がカトリックの教えを優先したとき、論証されていない事柄を(何らかの論証があってもそれができる人がいなかろうと;何の論証もなかろうと)信じるようにと、あの連中よりも謙虚に、そして些かの欺きもなく命じられていると、私は思った。私はあの連中から、大それた知識の約束によって信憑性を嘲笑し、その後、非常に多くのこの上もなく馬鹿げたまったくの作り事を、論証不可能だということで信じるように命じられたのであった」(38)。アウグスティヌスは、プラトン主義者たちを特権的に言及するのが常であったが、彼らを非難した。彼らは、目指すべき終局を知っておきながら、それに至る道すなわち受肉したみ言葉を知らなかった(39)。ヒッポの司教は、ギリシアの様々な学説とラテンの様々な学説とが合流する哲学の教説と神学の教説との最初で最高の総合を生み出した。更に彼の内で、聖書の教えに支えられた知識の最高の統一が、最高度の思弁的教説によって確証され支えられ得たのである。聖アウグスティヌスが実現した総合は、幾世紀を通じて、西方世界における哲学的神学的思弁の最高の方法と考えられてきた。彼は、みずからの生活の行いによって強められ、志における聖性に支えられて、自分の諸著作の中に無数の論題をはめ込むことができた。これらの論題は、経験に鑑みて考えられたもので、将来の何らかの哲学的な諸教説の進歩を指し示していた。
41.したがって東方の教父たちと西方の教父たちが哲学の諸学校に通った。このことはしかし、彼らが使信の内実を、彼らの語る諸体系と同一視したことを意味しない。テルトゥリアヌスの問い掛け、すなわち「アテネとエルサレムに一体どんな共通点があるのですか。アカデーメイアと教会にどんな共通点があるのか」(40)という問い掛けは、キリスト教の論争家たちが既にその始めから、批判的意識をもって信仰と哲学との関係についての問題に取り組むと共に、有益さと限界との様々な局面を考察していたことを明らかに示している。彼らは、不注意な論争家ではなかった。彼らは信仰の内実を熱心に生きていたので、より深い思弁の形態に達することができた。それ故、彼らの業を信仰の真理の哲学的範疇への単なる転移に還元することは完全に間違っている。彼らは更にそれ以上のことを行なった。彼らは、古代の哲学者たちの教説の中にそれまで含蓄的にかつ予備的なままに残されていたすべてのものが充全な光の下に立ち現れるように腐心した(41)。実際、古代の哲学者たちは、既に我々が述べたように、精神が外的なくびきから解放されて、作り話の隘路を脱し、超越的な次元に対してより適切にみずからを開く方法を教えることを任務としていたのである。こうして清められた廉直な精神は、省察のより高い諸段階にみずからを高め、諸々の被造物と超越的で絶対的な存在者とについての理解のために堅固な基礎を与えることができたのである。
ここに、教父たちによって考え抜かれた新しさが新しさがある。彼らは、絶対的なものに開かれた理性を完全に受け入れ、それに啓示の豊かさを移植した。この結合は、二つの文化の中で起こり、一つの文化が他の文化の魅力を受けたというようなものではない;この結合は、諸々の魂の最内奥の本性の中で起こったものであり、被造物とその造り主との間に親密な関係が与えられたのである。理性は、その本性から無意識的に向かっていた限界それ自体を踏み越えて、受肉したみ言葉のペルソナの内に最高の善と最高の真理に到達することができたのである。諸々の哲学に関する限り、教父たちは、共通する諸要素と、それらの哲学が啓示に対して示す数々の相違を承認することを恐れなかった。この合致の意識が、諸々の違いについての彼らの承認を曇らせることはなかったのである。
42.哲学的に訓練された理性の任務は、スコラ神学の中で、信仰の知解に関するアンセルムスの解釈の影響の下でより顕著なものとなる。カンタベリーの聖なる大司教によれば、信仰の至上権は理性に固有の探求と対立することを目指していない。実際、理性は、信仰の内実について判断を下すように招かれてはいないのである;理性はそれをすることができない。なぜなら理性は適性を欠いているからである。むしろ理性の任務は、意味を見出すことであり、すべての人々を信仰の何らかの教えを理解するように導くことのできる諸理由を見出すことである。聖アンセルムスは、知性は自分の愛するもを探求しなければならない、そして知性は愛すれば愛するほど、ますます知りたくなると明らかに主張している。真理のために生きる人は、自分が知っているものに対する愛によってますます燃え上がる何らかの形態の認識へと身を伸ばす:「私はあなたを見るために造られた;そして私はまだ、私が造られた目的を果たしていない」(42)。したがって真理の欲求は、理性が更に先へと前進するように駆り立てる;それどころか理性はそれが到達したもの以上に日に日に拡大する自分の能力を知って圧倒されるのである。しかしながらここにおいて今や理性は、自分の旅路がどこで成し遂げられるかを見出すことができるのである:「把握されざる事柄を追跡する人にとっては、それが確実に存在することを推論によって知るに至ることで充分であるとしなければならない、と私は思っている;たとえその事柄がどうしてそのようになっているかを知性によって窮めることができなくても。[・・・] しかしすべてのものを超えるものほど把握され難く言い表し難いものは、何かあるのだろうか。それ故、最高の存在についてこれまで論じられてきた諸々の事柄が、必要な推論によって主張されたなら、それらが言葉によって説明され得るほどに知性によって窮められないとしても、それらの事柄の堅固な確かさは、決して動揺しないのである。実際、同じ最高の智恵がみずからの造ったものをどのようにして知るのかは、把握し難いものであることを、より優れた考察が推論によって把握するなら、[・・・] 智恵がどのようにして自分自身を知ったり語り出したりするのかを、一体誰が説明するのだろうか。智恵については、まったく何も、あるいはほとんど何も、人間によって知られ得ないのである」(43)。
哲学的認識と信仰による認識との間の根本的な調和がまたしても確証される:信仰は、その対象が理性の助けによって把握されることを要請している;理性は、その探求の頂点に達したとき、信仰が提示するものを必要不可欠なものと見なすのである。
聖トマス・アキナスの思想の永遠の新しさ
43.この長い旅路の中でまったく独特な場が、聖トマスに用意されている。それは、彼の教説の中に含まれるものによるばかりでなく、彼が当時のアラブ人の学説やヘブライ人の学説に対して結ぶことのできた対話的な関係の故にである。キリスト教の論争家たちが、哲学の古い宝物、より直接的にはアリストテレス哲学の宝物も再発見した時代にあって、彼の最大の功績は、理性と信仰との調和を際立たせたことである。両者の光、すなわち理性と信仰の光は神に由来する、したがって両者は互いに対立することはできないと、彼は結論した(44)。
トマスは更に徹底して、哲学の固有の対象である自然は神の啓示の理解に貢献することを示した。したがって信仰は理性を恐れず、かえって理性を求め、理性を信頼している。恩恵は自然を前提とし、これを完成させるのと同じように(45)、信仰は理性を前提とし、これを完成させる。この理性は信仰の光に照らされて、罪の開始に由来する脆さと限界から解放され、三位一体の神の認識にまでみずからを高めるために必要な力を見出す。天使的博士は、信仰の超自然的性格を力強く明らかにするとしても、信仰の合理性の卓越性を忘れはしなかった;それどころか彼は、深みに潜り、その意味を探ることができた。実際、信仰は、ある意味で「思考の訓練」なのである;人間の理性は、信仰の諸真理に同意するとき、無効にされもしなければ、貶められもしない;これらの真理は、自由で自覚的な選択によって到達されるのである(46)。
それ故、聖トマスは正当にも常に、教会によって教義博士、そして神学の扱い方に関する模範と見なされている。我々の前任者である神の僕ヨハネ六世が、天使的博士の死去七百周年の折りに書いた言葉を再び思い起こすのは我々にとって喜びである:「確かに聖トマスには、真理を探究する際の最大の勇気、新たな諸問題を探求する際の精神の自由、キリスト教の真理が世俗の哲学によって汚染されるのを決して許さず、かと言って決してそれを先験的に斥けない人たちに固有の心の廉直さがあった。それ故、キリスト教の教義史の中で、彼の名は、哲学と普遍的な知識との新しい道を切り開いた先駆者たちの中に数え入れられるのである。しかし彼が、最高でいわば預言的な天才的洞察に恵まれた者として、理性と信仰との新しい相互関係についての問題を解いたことの頂点と、その教えの要は、世界の世俗性を福音の熱烈で厳しい諸要請に適合させると共に、このようにして、世界と世界の数々の善とを軽んじるという自然に反する傾向からみずからを引き離したこと、それにもかかわらず、超自然的な秩序に属する至高で揺るぎない諸原理に背くこともなかったことに置かれている」(47)。
44.聖トマスの卓越した理解の中には、聖霊が人間の知識を智恵において成熟させるときに展開した使命に関するものがある。博士アキナスは、神学大全(48)の最初の頁から、聖霊の賜物であり、神的な事柄の認識に導く智恵の首位性を教えている。彼の神学は、信仰および神的認識との深い結び付きにおける智恵の特性を教えている。この智恵は同一本性によって認識し、信仰を前提にする。そしてそれは、信仰それ自体の真理を端緒としてみずからの正しい判断を形成する:「・・・賜物と見なされる智恵は、獲得された知性的な徳と見なされるものと異なっている。実際、後者は人間の努力によって獲得される:しかるに前者は、ヨハネ3,15で言われているように「上から降りてくる」。同様に、それは信仰とも異なっている。すなわち信仰は、神的真理をまさにその真理に即して承認するが、神的真理に即した判断は智恵の賜物に属しているのである」(49)。
しかしながらこのような智恵に帰された首位性は、天使的博士に、他の二つの相補的な形態が智恵にはあることを忘れさせはしなかった:すなわち知性が固有の限界内で、それによって事柄の探求に備えるところの哲学的な形態;そして啓示に依存し、信仰の諸真理を探求し、神の真理そのものに到達すると神学的な形態。
「どのような人が語る真理でも、それはすべて聖霊に由来する」(50)ことを心から確信していた聖トマスは、何の掛け値もなしに真理を愛していた。彼は、真理が現れ得るところならどこででもそれを探求し、その普遍的性質を最大限に明らかにした。教会の教導職は、彼の内に真理への燃えるような熱意を見出し評価した;彼の教えは、普遍的かつ客観的そして超越的な真理を常に主張するが故に、「人間の知性には到達し難い」(51)頂点に達した。まったく正当にも、彼を「真理の使徒」(52)と呼ぶことができる。彼は、臆することなく真理に心を向けていたので、真理の現実的な客観的意味を承認することができた。彼の哲学は本当に存在の哲学であって、単なる現象の哲学ではなかった。
理性と信仰の分離の悲劇
45.研究の第一の普遍性が確立されると、神学は、探求の他の形態と学問的認識の他の形態と、より近くで衝突し得ることになった。聖アルベルトゥス・マグヌスと聖トマスは、神学と哲学とのある結び付きの存在を主張したにもかかわらず、哲学と諸科学とが、それぞれに固有の探求に論証によって打ち込むために必要な自律性を認めた最初の博士だったのである。しかしながら中世の終わり以降、これら二つの知識の領域の間の合法的な区別は、有害な分離に変えられてしまった。合理主義者たちの内、ある論者たちに固有な極端な心の欲求が生じて以後、信仰の諸真理から分離され完全に自律した哲学に到達できるという考え方の基礎が据えられた。このような分離の様々な帰結の中に、理性それ自体に関わる日毎に強くなるある種の不信が存在していた。ある者たちは、一般的で懐疑的そして不可知的な不信を表明し始めた。ある者たちは、信仰により大きな余地を残すために。またある者たちは、信仰に関する一切の合理的な言表を覆すために。
簡潔に言うと、教父たちと中世の博士たちがいわば思弁の最高度の諸形態そして深い一致として考えそして実行したことは、信仰から分離され信仰に取って代わった知識の弁護に好意的な諸教説によって完全に抹消されてしまった。
46.特に西洋の歴史の中で優勢となった極端な考えは、とてもよく知られており、明らかに見て取れる。近年の哲学的な学科は、その大部分がキリスト教の啓示から徐々に切り離された形で進展し、公然とそれに対立するところにまでに到ったと宣言しても決して誇張ではない。前世紀になると、この運動はその頂点に達した。「観念論」の追従者の幾人かは、信仰とその諸要素やイエズス・キリストの死と復活を、様々な仕方で、理性によって知解可能な弁証法的な構造に変えようとした。このような考えには、哲学的に入念に練り上げられた様々な種類の無神論的な人文主義が立ちはだかった。それらの人文主義は、信仰を有害なものであり、充全な合理主義の発展を妨げるものと考えていた。それらは、みずからを新しい宗教として提示することにいささかの恐れも見せなかった。その際それらは、政治的かつ社会的な面で、人間性を損ねるある種の全体論的な体系に帰趨する考えを土台として利用していた。
科学的な探求の領域においては、世界についてのキリスト教的な考え方の一切の意味から離れたばかりでなく、取り分け形而上学的かつ道徳的理性のすべての指標を無視した実証主義的な精神が育った。それ故、学識経験者たちは、倫理的な精神を欠いてしまい、ペルソナとその全生命をもはや研究の中心に据えなくなる危険の中にあった。そればかりか、彼らの内の幾人かは、科学技術の進歩の力を完全に知って、市場の利害を越えて、自然ならびに人間それ自身にとって悪魔的な力[の]誘惑に屈しているように見える。
最後に虚無主義が合理主義の危機の帰結として生まれた。無の哲学としてそれは、我々の時代の人々にとってある種の魅力を備えている。その支持者たちは、探求をそれ自身で閉じたものと見なし、それにはいかなる希望も与えられていないし、真理の目標に到達する能力もないとした。虚無主義の考えでは、存在は、滅び行くものに第一の取り分がある感覚と経験の塊しか与えない。虚無主義から、いかなる務めも決定的に引き受けるべきではないという考えが生まれた。なぜならすべては、束の間のことであり一時的なものだからである。
47.更に、今日の文化の中で哲学の持ち分は変わってしまったとということを忘れてはならない。哲学は、智恵と普遍的な学知とから、科学の多くの諸領域の一つに引き下げられてしまった;それどころか哲学には、幾つかの点で、まったく皮相的な取り分しか与えられていない。その間に、哲学的な学科を明らかに軽視する合理主義の別の諸形態がますます広まった。真理の観想や生命の究極的な目標や意味の探求の代わりに、合理主義のこの形態は、功利性の諸目的に奉仕する「道具的な理性」として、諸々の欲求や支配に差し向けられている。
我々は、この道を走破することがどれほど危険なものであるかを、我々の最初の回勅の公刊以来、語ってきた。最初の回勅で我々はこう書いた:「我々の時代の人間は、みずから生み出した物事それ自体によって常に圧迫されているように見える。すなわち、自分の両手の業の結果によって、更には心の作業や意思の傾向の結果によって。人間のこうした多様な勤勉の実りは――途方もなく早く、そしてしばしば予期できないほどの仕方で――それらの実りを生み出した人から、端的にそれらの実りが取り去られる限りでの『疎外』に屈服しかねない:このことは単に起こったばかりでなく、更に、少なくとも部分的に、それらの諸成果から必然的かつ間接的に生じたある進展において、それらの諸成果が人間自身に立ち向かってきたのである。このことは、我々の時代の人々の、あらゆる所に普遍的な広がりをもって見られる厳しい生存条件の大要であるように見える。それ故、人間は、日々ますます大きくなる恐れに脅かされている。実際、人間は、自分の実りが、そのすべてでも大部分でもなく、幾つかが、そして自分の才能と勤勉とからの特別の出し分を持つ実りが、自分自身に立ち向かっているのではないかと恐れている」(53)。,゚Gヌ
このような文化の変化を前にして、幾つかの哲学は真理を真理の故に探求することをやめて、主観的な確実性ないしは実践的な功利性を獲得することだけをみずからに課した。その帰結は、理性の真の尊厳が曇らされ、真なるものを認識し、絶対的なものを探求する能力を失うことであった。
48.したがって、哲学の歴史のこの最近の部分から明らかになることは、哲学的な理性からの信仰の漸進的な分離を見ることに帰趨する。しかしながら、実際には、物事を注意深く思索する人にとって、信仰と理性との間隙を広げることに貢献してきた人々の哲学的な思索の中にも、大きな価値を有する思考の萌芽が時折現れている。それらの萌芽は、正しい精神と洗練された心とによって深く吟味されることで、真理の道を再発見させてくれるものなのである。思考のこれらの萌芽は、たとえば、知覚と経験について、表象一般と非理性的人格そして間主観性について、そして自由と善について、時間と歴史についての注意深い解明の中に見出すことができる。死の主題も、哲学者たちの一人ひとりをして、みずからの生命の本当の意味を自分自身の中に見出すように激しく駆り立てることができるのである。しかしこのことは、信仰と理性の現在の関係が厳密な判断の努力を必要としないということを意味しない。なぜなら理性も信仰も共に弱められており、互いに他方によって損なわれてしまったからである。啓示を剥ぎ取られた理性は、究極目標を決して見分けることのない危険に導く曲がりくねった道を疾走している。理性を欠いた信仰は、心の感覚と体験を強調することによって、みずからがもはや普遍的な提供物ではないという危険にある。信仰が、脆弱な理性を前にして一層力を持つと考えるのは間違っている;それどころか信仰は、作り話や迷信に成り果てるという重大な危険に陥るのである。同じように、強固な信仰に照らされていない理性は、みずからの「存在」の新しさと根源性を凝視するように促されることはない。
したがって信仰と哲学が、それぞれの自律を害することなく相互の本性に調和させる緊密な結び付きを回復せよとの我々の重大で強固な訴えを不適切なものと見られてはならないのである。信仰の闊達さに、理性の大胆さが対応しなければならない。
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