V 教会的交わりと教会一致運動

17. 「洗礼を受け、キリスト者という名前で飾られてはいるものの、完全な信仰を告白せず、あるいはペトロの後継者の下での交わりの一致を保っていない人たちとも、教会は様々な理由で結ばれていることを知っている(72)」。実際、カトリックではない諸教会や諸共同体の中には、キリストの教会の多くの要素が見出されるのである。これらの要素によって、まだ完全ではないとしても何らかの交わりのあることを、喜びと希望をもって認めることができる(73)

この交わりは、特に、東方諸教会とに存在する。東方諸教会は、ペトロの座と分たれているにもかかわらず、使徒継承や有効な聖体祭儀などの極めて緊密な絆でカトリック教会と結ばれ続けている。それゆえ東方諸教会は、部分教会の称号に値する(74)。実際、「これらの個々の教会における主の聖体祭儀の挙行によって、神の教会は建てられ成長するのである(75)」。なぜなら聖体祭儀のあらゆる有効な挙行には、唯一の聖にして普遍の使徒的教会が本当に現存するからである(76)

ペトロの後継者がその代表を務める普遍の教会との交わりは、部分教会に外からやって来る補完物のようなものではなく、部分教会を構成する内的諸原理の一つであるから、これらの尊いキリスト教共同体が置かれている部分教会の状態は、傷も負っている。しかし使徒継承と有効な聖体祭儀とを保持していない教会的諸共同体は、さらに深い傷に苦しんでいる。さらにこれらすべてのことによって、普遍教会にも傷が加えられている。なぜなら普遍教会は、すべての人にとって「ひとつの群れ、ひとりの牧者(77)」となるように、主に招かれているからである。普遍教会は、歴史の中で充全な普遍性を達成することを妨げられている。

18. 物事のこうした状態は、教会の一致における充全な交わりが回復されるために教会一致運動を促進することを、すべての人々に熱烈に促している;この一致とはすなわち、「キリストが始めからご自分の教会にお惜しみなく与えになったものであり、しかもわれわれがカトリック教会の中に失われることなく永久に存続すると信じ、代の終わりに至るまで日々成長すると希望している(78)」一致である。このような全力を挙げて促進されるべき教会一致活動にとって優先的な重要性を持つものは、祈り、悔い改め、研究、対話、積極的な協力である。このようにすればすべての人たちは、主への回心を新たにすることによって、ペトロの首位権がその後継者たちの中に、すなわちローマの司教たちの中に存続しているのを認めることができ、また、ペトロの奉仕職が主のご意向通りに普遍的な使徒的奉仕として実現されるのを見るであろう。そしてこの奉仕職は、すべての諸教会に内部から現存して働き、しかも歴史が証言しているように、神の制定によって定められた実質を損なわない限りで、時と場所の違いに応じて様々な仕方で姿を現すことができるのである。

次へ

 


 

(72) Const. Lumen gentium, n. 15.

(73) Cf. Decr. Unitatis redintegratio, nn. 3/a et 22; Const. Lumen gentium, n. 13/b.

(74) Cf. Decr. Unitatis redintegratio, nn. 14 et 15/c.

(75) Ibidem, n. 15/a.

(76) Cf. supra, nn. 5 et 14.

(77) Io 10, 16.

(78) Decr. Unitatis redintegratio, n. 4/c.