テキサス・サンアントニオ出張


有名なアラモの砦

テキサスのサンアントニオ(地図で見るとメキシコ国境の近く)へ出張になった。最寄りのオレンジカウンティー空港(ジョンウエイン空港)からの直行便は無く、デンバー乗り換えで5〜6時間程掛かる。当然、前泊の出張。

サンアントニオは歴史の古い町(アメリカにしては)で、歴史が古いとやはり歩く事を主体にした街作りとなり日本の地方都市とよく似た感じ。多分、街の大きさは川越、所沢、八王子位だろうか。


町には、『風と共に去りぬ』の映画の様な家がたくさんある。


テキサス人は面白いもので、アメリカ合衆国ではなく、自分たちの国はテキサス共和国のように考えていると聞いたことがある。以前にダラスなどを訪れたときも、テキサス州の旗の方が星条旗より優先しているように感じた。

車の中でセールスマネジャーのクリスとの会話、彼は客の事を話している。彼との会話は突然話がそれたり、ジョークだったりややこしい。空港で時間を二人で時間を潰している時など、彼は常に喋り通し・・・。典型的なアメリカ人だ。

彼は、客の一人を名指しして僕に説明してくれていた・・・

『He is an eagle.』

と言った。

『What do you mean by eagle?』

『イーグルて何だよ?』と聞いたら

『Eagleとは人の意見を聞かないで、自分が全てだと思っている人。』だと彼は言った。

すかさずに、

『Then, the United State is an eagle!』(Eagleはアメリカの象徴)

『ヘーそう、じゃ、それはアメリカのことだな!』

と言ってやった。

その時の彼の顔、鳩が豆を喰らったように一瞬間があった・・・

『That's it! 』

『Mr. Sakui. You are funny.』

と涙を流して笑っていた。(僕のニックネームが無いので、クリスは事をいつもMr. Sakuiと言う。)

座布団一枚と言うところか。

ちなみに、この日の帰りの飛行機はやはりデンバー乗り換えだったがラッキーな事にデンバーまでとデンバーからオレンジカウンティーの切符がファーストクラスになっていた。よく利用するのでサービスだったのだろう。ファーストクラスは通常エコノミーでは$5ドルのアルコール飲料が無料、エコノミーの不味い小瓶ワインではなく美味しいフルボトルを開けて注いでくれる。帰りまでの5時間、ゆったりとファーストクラスでワインを楽しみながらのリッチな帰宅となった。

所で、いつも出張でやや憤慨することなのだが公共の場所でのアメリカ人同士の会話、電話の声の大きさとその長いことには閉口する。本当に”うるさい”の一言に尽きる。英語が完全にわからない事もあり余計にイライラするのかも知れないが、日本人感覚には信じられない。

以前、関西の電車の中の話し声の大きさに苛ついたこともあるが、彼らのそれは遙かに越えている。ゲートの待合い席での電話声、話の内容が完全に他の人に聞こえている。ひどい場合は5m位先の電話の声で放送がかき消されるほど・・・。こればかりは、その場に居ないと信じられないだろうが特に大げさに言ってるわけではない。

また、飛行機は離陸する寸前まで、また着陸して車輪が地面に着いてからは携帯電話が許されてる。従って、飛び立つまでの間はそこら中で電話、電話、あの大きな声で彼女に電話をしているのだろうか、何度も何度も同じような話を延々としている。相づち、感嘆詞だけの愛のささやきだ・・・

以前、赴任研修でアメリカ人の講師から教えて貰ったことだが、アメリカ人は沈黙が不安で喋り続けていると。確かにそうだ、日本人だったらあんなに長く会話が続かない。それも、彼が書く文書と同じようにあまり内容がないようにも感じる。会話中の中では、決まり文句の挨拶、感嘆詞、副詞、形容詞、相づちが殆どを占める。また、あまり考えずに喋っているのだろうか、言葉に意味を含めることがあまり感じられない。アメリカの料理と同じ、味より量なのだろうか。

所が、映画の中ではこの様な会話をしているシーンはあまりないように思う。さすがに、こんな会話ではストーリーが明確にならないだろう。しかし、一般の人々の会話は本当にくだらない繰り返しをただただ時間をかけて話している事が多い。基本的にアメリカ人は言葉にしないと相手には伝わらない、日本人の様に『察する』と言う文化が無いからなのかもしれない。

少し愚痴になったかも知れないが・・・





http://www.geocities.jp/taihaku_03/geography/column/texas.html

歴史に埋もれた独立国 −テキサス共和国

テキサスは現在、アメリカ50州の1つであり、もちろん、独立国ではありません。しかし、1836年〜1845年の10年間、独立した「テキサス共和国」だった時期があるのです。こうした歴史的経緯もあって、テキサスの場合、必ずといっていいくらい、公共施設や観光スポ ットには星条旗と並んでテキサス州旗が掲揚されています。これくらい「州」に対する愛着が強く、「独立心が強い」と言われるテキサスですが、その併合の過程には、アメリカの西部開拓の歴史の一端が垣間見られます。

1821年にスペインからメキシコが独立した際、旧スペイン領であったテキサスはメキシコ領となることを、アメリカは国際的に承認しています。しかし、当時、テキサスにはメキシコ人はほとんど住んでおらず、メキシコ政府による統治能力はあまりなかったといえます。

ちょうどこの頃、アメリカ側の西部開拓が進展すると、テキサスの新住民の間で、革命後のメキシコ独裁政権に対して自治を求める動きが強まります。メキシコ政府はこうした動きを軍事的に抑えようと、1835年にサンアントニオに兵を派遣しますが、テキサスの義勇軍はこれを破り、有名な「アラモの砦」を奪って拠点としました。形勢を挽回すべく、メキシコ軍は4000人の大軍を 送り、再度テキサス義勇軍を攻撃します。この、アラモの砦攻防戦の史実が、ジョン・ウェイン主演の映画「アラモ」のモチーフになっているものです。

義勇軍側も善戦しますが多勢に無勢、アメリカに送った援軍要請も間に合いそうにありません。義勇軍の指揮官トラビスはついに敗戦を覚悟し、地面に剣で線を引き、自らに従って死ぬま戦い抜く者のみが、この一線を超えるようにと呼びかけます。結果、そこにいた189人のうち、1人を除く愛国者達全員が、指揮官と共に戦死する道を選びました。翌日、メキシコ軍がアラモ砦に攻め入りテキサス軍は全滅しました。

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