ファーストネーム


ハーイ、マージー

How are you?

最近は平気で相手をファーストネームで呼んでいる。



欧米、特にアメリカでは相手をファーストネームで呼ぶことは良く知られている。こちらに来て、近しい人ばかりかと思うとビジネスでもプライベートでもMr. Msなどを付け苗字で相手を呼び事は殆ど無い。以前はアメリカ人は陽気でフレンドリーなので相手を名字で無く名前で呼ぶのだろうと考えていた。多分、日本人の多くはそう思っているだろう。

従って、最初の頃はどうも小恥ずかしさと言うか名前で相手を呼ぶには何か抵抗があった。はじめての人に名前で呼んで良いのだろうか、などと・・・

また、部下のレポート、メイルを見てもファーストネームばかりで、会社の名前も出てこないことがあり、何のビジネスなのかわからず何度か聞いたことがある。

こちらでは、
Richard Kacikだから、呼び方は『Richard』
John Sisk だから、呼び方は『John』
Margie Chiaramonteだから、『Margie』

日本では
作井 正人 だから、呼び方は『作井さん』

これはやはり、最初に来る方が呼びやすいからだろうと思っていた。

また、日本に於ける私のファーストネームは作井であり、アメリカに着てこちらの文化に合わせてひっくり返してのMasato SakuiのMasatoは正確にはファーストネームでは無いはずだ。

所が、ファーストネームはもっと大きな文化の違いに所以している・・・と自分なりの解釈ではあるが、最近思うようになってきた。そもそも姓と名前を逆転している事に、組織vs.個人に対する基本的な考え方の違いが西欧と東洋のにあるような気がする。名前の方をファーストネームとしていることが、その個人を明確にしていることなのだ。(僕の解釈)

日本ではビジネスの場合で『○○株式会社、××製造部の鈴木です。』と自己紹介なり挨拶をする。まず、は組織の一員としての自分を表現する。これは時代劇をみても、拙者は『松前藩の勘定方、清水新介でござる』などど・・・
名前の場合でも同じだ、作井正人とは作井家の正人であり、呼称は、その最小組織単位である作井家が出てくる。(お家断絶、お家再興、お家大事と言う文化からでしょうか・・・)

所が、こちらではビジネスの場合でも、『I am John Sisk, from XX company.』などと所属組織より先にJohnである自分を主張し紹介する。(最初はこちらでも自己紹介はフルネーム、2度目以降はJohnのみ)

名前も、Sisk家のJohnであることには間違えないが。ここにいる自分はSisk家の代表ではなく、あくまでもJohnと言う名前の個人なのだ。Mr. Siskでは個人そのものが特定できないのだろう。

『日本(東洋)では、その個人がぼやけ、アメリカでは特定個人が明確』そんなことなんだろうか。

昔より、日本では『お家のため』『会社のため』、アメリカでは『個人のため』『個人の成功失敗』『個人のレベルアップ』

アメリカでもビジネスでは当然、会社vs.会社ではあるが。実際の実務はJohnとRichardでのビジネスであり、個人vs.個人に関わるところが日本よりにも濃厚。従って、アメリカでは個人Johnなり、Richardへの責任はははっきりしており、その点ではアメリカ人は仕事に対して逃げることは出来ない。逆に日本は組織中心であり、ややもすると個人責任がうやむやになる事が多い。

個人のJohnなりRichardに対する業務範囲は明確であり、それで給与が決まっている。日本の様にみんなでそれぞれの業務の境目を埋めるようなことはなく、日本人からするとアメリカ人は無責任だと思いこまれるのはそんな文化の違いだろうか。またこんな所が、本人の能力などが業界から信頼され、日本とは違う転職などが容易にしている土壌なのかもしれない。

ちなみに、住所表現も全く同じ。

29 Monte Carlo Irvine, CA

『住所は29番地です』とまず宣言(他の誰でも無い、私の住所は29番地です)
『Monte Carlo通りです』
『Irvine市です』

日本の場合は

東京都三鷹市井の頭×丁目×番地×号

の様に、まずは大きな組織である『東京都』がでてきて次ぎに下部組織の『三鷹市』

個人を特定し主張する文化と組織中心の文化の違いが相手を呼ぶ呼称、住所表現などへ現れてるのだと滞在10ヶ月ほどして実感した。やはりこの文化の違いは大きい。




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