文化度



公園にあるこのポストの様なものは何だろうと近づくと犬のトイレ(散歩の時に、ビニール袋を忘れた人用)



近寄ってみると、説明とビニール袋がある。

アメリカに住んで10ヶ月、文化の違いは多いに感じる。しかし文化度の程度はだいぶ無くなったとは思う。60年代のギャップはとても大きかった。50年代以前はもっとだっただろう。僕が中学生の時に晴海で催された『アメリカンフェスティバル』少年時代にはショックであり、強烈な印象だった。食料品などの品物の豊富さ、そのにおい、音楽、全てのものが日本と異なりアメリカはあこがれだった。

いま、アメリカに来てそんな感じは誰も受けない。スーパーに行っても、百貨店でも殆ど変わらない。かえって、日本の方が良いものが店にはおいてあるし、着ている服装も日本人の方が良い。昔もった、文化度の差のあこがれは誰も抱かないだろう。これは、我々の諸先輩達が頑張って日本をここまで発展させてきたことと感謝している。

しかし、細かな点ではやはり民度の差はある。公衆トイレはとてもきれい、手を洗う石鹸も手を拭く紙も用意してある。医者の対応、診察室をとっても日本のそれは大げさに言えば野戦病院、医者の対応も横柄(一般的に)。人をゆずるマナー、身体障害者への考え方。

特にこちらに来て思うのは、ドアを開けて建物などに入る時など常に後から来る人のためにドアを開けて待ってあげること。こちらでこの習慣が身につき日本に帰るとビックリする、開いていたドアが目の前で急に閉まったり、譲ってあげても礼もしない。アメリカでは人と肩がぶつかることなど殆ど無い、日本で平気でぶつかり謝りもしない。また、とても恥ずかしく思うのは、国際線で日本に帰るとき、空港に到着するや否ちゃんと順番を待っている欧米人を差し置いて、我先に争って外に出ようとする同胞達、これには誠に恥ずかしい思いをする。確かに、アメリカでも狭い機内で大声を出して喋っている人など、マナー全てが良いわけではないが、やはり比べてみると我々の民度はまだまだ低いのだろう。

道路には自転車専用道があり、芝生はきれいに整備され公園には犬用のビニール袋がおいてある。

物質的な面では何とか追いついた日本だが、精神的な文化度においてはまだまだ時間が掛かる、あるいはいつまで経ってもこの差を埋めることは無理なのかもしれない。

その差は一見ではわからない事だから。


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