三日三月三年



こちらに来て三日三月三年と言われる節目であるその三ヶ月が過ぎた。だいぶこちらの生活に慣れてきた。来たばかりの頃は道を車で逆に走ったり、ガソリンを入れることが出来なかったり文化の違い、言葉の違いで自分なりにも苦労した。それでもまだまだ、先進国であるアメリカは良いほうだろう、もっと多くの人たちが比べられないほどの苦労を海外ではされていると思う。

やれ魚がまずい、食べ物がまずいなどと言ったらバチがあたる。ここがアメリカ中では一番良いところなのだ、日本食のスーパーも何軒もあり、日本食レストランも沢山ある。

三ヶ月経つと、段々とここでの仕事、ここでの生活が自分のものの様になり、自分のいる場所が出来てくるから不思議だ。出張から帰ってきてまず飛行場で感じるのは帰ってきたなと思うこと、家に帰るとさらに落ち着く、複雑な気持ちだ・・・

日本人の居ない職場で米人たちに囲まれて結構楽しくそれなりに仕事ができるようにもなった。

この三ヶ月の間、ここで雨が降ったのはほんの2時間程度、毎日が快晴。贅沢な話だが、毎日快晴だと何か物足りない。珍しく湿度の比較的高い日に入道雲が出た。こちらの米人は『暑いのはあの雲が出るからだ!』と言っていた。ここで、はじめて見る入道雲に日本の夏を懐かしく思い出しふと郷愁を感じた。

街はきれいだし、緑もスプリンクラーで管理されている。人工の自然だが木も多く、野生のウサギ、親指ほどのハチドリの姿も良く見る。水の少ないカルフォルニアは昆虫はあまりいない、従って蚊もほとんどいないのだ。

米国人は声が大きい人が多い、飛行機の中、飛行場の待合室での会話馬鹿でかい!とても迷惑である。人に道を譲ったり、ドアを次の人のために開けていたりマナーの良いはずであるあのアメリカ人にしてはその辺は気づかないのだろうか。一緒に出張に行った部下がやはりあれは失礼だとは言っていた。彼らの声が日本人に比べて大きいのは、英語そのものが子音中心であるからなのかもしれない。子音を出そうとすると、腹式呼吸で大量の呼気・口の筋肉の動きが必要である。母音中心の日本語では少しの呼気とほとんど動かすことのいらない口の動き十分である。

また、アメリカ人は今まで受けた教育なのかその点は良くわからないが、話す内容、書く内容も余計なことが多すぎる。内容をまとめて簡潔に喋る、報告をまとめて書く事ができない沢山喋り、沢山書くことが文化なのだろうか・・・出張報告など、会社の名前よりお客のファーストネーム、その奥さんの名前など我々日本人から見ると必要なものが無く余計なことが多い様に思う。ただし優秀な人は簡潔に話し、簡潔に書くけれど…

アメリカで感じるのはトイレがどこに行っても大抵きれいだ(中には汚いところもあるが)また、手を拭く紙が必ずといって良いくらいある。それは無駄かもしれないが・・・

街の芝生も定期的に早朝からメキシコ人労働者が手入れしている、職場でも日本の様に社員の掃除当番もない。社員は仕事のみ、これは欧州も同じだ。学校でも掃除をする人は別に居る。

ホテルなどはこちらのほうが合理的だ、料金は一部屋単位。だから何人も泊まっても同じ料金。日本では一部屋幾らではなく、一人単位だ。これは食事つきの旅館の風習をそのまま受け継いだのだろう。従って、観光地で行う展示会など社員が家族を連れてくる事があるこれも日本では考えられない。旅費は当然個人持ちだが、ホテルはただなのでそれができる。しかし、夜のお客さんとの会食にも社員の奥さんなどが同伴する、会食は会社の金で奥さんを食べさせているのだ、これもアメリカでは普通の文化なのだろう。今まで何度か聞いてはいたが、目の当たりにするとやや驚いた。また、この奥様達が全然遠慮もせず好きなものを注文し、酒を飲み、どんどん会話にも加わっている。昔、テレビでやっていた『奥様は魔女』の番組で会社の接待Dinnerを魔女である彼女の家でやっていた事を思い出した。出張報告に奥様の名前が出るほど、アメリカでは仕事と家庭がある意味では同居するのだろう。日本で育った僕には理解しにくい文化だけど・・・

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