スリランカ旅行記 2006

   

@  期間 平成18年1月31日〜210日の11日間
  
          A 目的
        世界遺産の見学
     ロングステイの適不適について
     スマトラ沖大地震の津波被害と復興の現状について
     B メンバー  夫婦2人
     C     費用 
     概算30万円(2人分。但し土産、チップ等を除く

      D     行程 ネゴンボ(1泊)〜アヌラーダプラ〜シーギリア(2泊)〜ポロンナルワ〜キャン       ディ(1泊)〜ヌワラエリア(3泊)〜ベントータ(2泊)〜ゴール〜コロンボ





1、概略 位置インドの真南の島、
            面積
北海道の約8割、人口
2,000万人、
            首都スリー・ジャヤワルダナプラコッテ、


1、概略 位置インドの真南の島、
            面積
北海道の約8割、人口
2,000万人、
            首都スリー・ジャヤワルダナプラコッテ、
 政治体制   共和制
民族構成    シンハラ人73%、タミル人18%、ムーア人8
宗教      仏教(上座部仏教)70%、ヒンドゥー教及びイスラム教並びにキリスト教各約10%
言語      シンハラ語とタミル語が公用語
時差       −3時間、飛行時間東京から直行便で9時間
通貨      スリランカ・ルピー
為替レート   1円=1.2ルピー

治安
北部でタミル派とスリランカ国軍との紛争があったが現在停戦中であり他の地域では
特に不安は無い、自然が一杯で島全体が緑で鳥や野生動物が多い、果物も大変おいしい、
特産品は紅茶、香辛料、宝石である
 


2、費用対効果
という点についてはほぼ満足であった。我々
2人に自家用車1台で運転手
  兼ガイド1人。飛行機代、ホテル代、全食事付、全観光付きで2人で30万
円は安いと思う。ただしそのせいかホテルは2〜3級ホテル、飛行機は
     片道
3箇所経由で4食付には少々疲れた。                   
   
                             
 
 3、スリランカの世界遺産
                                                                                 
 
スリランカについては「海のシルクロード」としてまた「上座部仏教伝播の最初の
経由地」として、そして「その仏教に関しての世界遺産」に大変興味をもち10年位前か
ら行きたいと思っていたところでようやく念願が適ったと言うところである。世界遺産に
ついては文化遺産が6ヶ所と自然遺産が1ヶ所の合計7ヶ所あるがそのうち今回は自然遺
産を除く文化遺産全部の6ヶ所を見学してきた。中央部の文化三角地帯といわれるアヌラ
ーダブラ、ポロンナルワ、キャンディは仏教の大遺跡群のあるところであったが、シギリ
ヤレディで有名なシギリアロックへの登頂はなかなかなものであった。シギリヤレディの
思ったよりも小さい絵と鮮明さに驚いた。

 
写真説明 左 アヌラダープラ スリー・マハー菩提樹(BC3世紀インドのアショーカ王
の王女がインドのブッダガヤの菩提樹の分け木を運んできて植えた)
右 アヌラダープラ シュータワナ・ラーマヤ 現在ユネスコが修復中

写真説明 シギリア・ロックの壁にかかれたフレスコ画シギリア・レデイ
今から1400年前に描かれたが今もなお美しい

 

写真説明 左下シギリアロック王宮の入り口 ライオンのつめ
       右下仏教が最も栄えたボロンナルワ7層の宮殿跡

写真説明 左下 ボロンナルワの寺院のムーンストーン 
                       仏教でいう輪廻をあらわすという。ここでクツを脱いで寺院に入る
右下 ガル・ヴィハーラの大傑作といわれている3体の仏像の一つ坐像

写真説明 左下 ダンブッラ 石窟寺院 丘の上の岩山に巨大な5つの石窟がありそれぞれに
多数の仏像が納められている。
右下 シギリア郊外の象の孤児院



  

4、ロングステイの適不適
  ロングステイとしての適不適については、今回高地と海岸に宿泊した。ヌワラ
エリアいう中央部にある一面に広大な紅茶畑の広がる1800M:の高原地帯でイギリ
ス植民地時代に避暑地として栄え、今も当時の名残としてイギリス風の建物が点在
している。コロニアルなホテルや競馬場、アジアで最初に出来た由緒ある整備の行
き届いたゴルフ場もあり他の町とは趣きを異にしている。他に乗馬、ハイキング
、テニスコート、美しいイングリッシュガーデンなど長期滞在としての楽しみ方
はいろいろある。ちなみにゴルフはラウンド平日で約4,500:円(グリーンフィ、
キャデイフィー、レンタクラブ等込み)、乗馬は一般の馬とポニィーとの混血馬1時間
:2500円など。また近郊の観光として紅茶工場や世界に名高い宝石
の産地である「ラトゥナプラ」の見学、宗教を超えたスリランカ随一の聖山で
ある「スリー・パーダー」やワールズ・エンド(地の果て)の名を持つ「ホー
トン・プレインズ国立公園」への登頂などもある。ただ1800Mと高地にあるせ
いか朝晩は相当寒く、雨が降れば冬衣装が必要なくらいだ。それにロングステ>
という概念が無いのかホテルの長期割引制度がなく、1泊の料金の単なる倍数だ
けだ。結論としては気候の面と宿泊費用の面において最適とはいえない。
 
 海岸沿いに関しては南西に位置するベントータに宿泊したが海岸の水は大変美しかっ
た。プールの設備も充実し12月から3月のベストシーズンでは程よい気候で過ごし
やすい。近くにアーユルベーダーの店舗がたくさんありマッサージなどの全コース
が6000円前後からあった。アーユルベーダーとはスリランカのハーブや香辛料、
オイルなどを使って体の内からと外から健康にするスリランカの伝統美容医療の
ようである。
 我々のとまったホテルでは宿泊客はヨーロッパ人が多くアジア人は我々だけであった。
津波の影響ではヨーロッパ人の客は戻ったようだが日本人客は減ったままだそうだ。
こちらでも料金体系はロングステイの体系にはなっていないようだ。


写真説明 左下 セイロン紅茶の大生産地 ヌワラエリアの一面に広がる広大な茶畑
右下 高原の避暑地ヌワラエリアで乗馬


5、スマトラ沖大地震 津波のその後
  一昨年12月に4万人の死者が出たスマトラ沖大地震の津波被害と復興の現状について
は特に被害が大きかったのは東海岸沿いだが各国からの莫大な援助とスリランカの人たち自
らが復興に力を注いだことで復興が早かった。ホテルも昨年の5月にはすでに90%>が営業を再
開しているという速さだ。我々が宿泊した南西の海岸でも鉄道、バス、道路などのインフラ
はすぐに復旧しているが家屋の倒壊の爪あとは散見された。世界遺産の集中している中央の
山間部はもともと津波の影響は皆無だし海岸沿いもほぼ復旧したといっても過言ではないの
でたくさんの観光客に戻って来て欲しいとの希望をしばしば耳にした。



写真説明 左下 島の南部海岸 スマトラ沖地震 津波の傷跡
                   右下 世界遺産 ゴールの城塞都市 この城塞が津波から町を守った。
                      この砦は1589年ポルトガル人が建設、、1640年にオランダが拡張、
        イギリス植民地時代も支配の拠点であったという。


  6、  
ハプニング
   今回ハプニングが3つあった。1つはホテルでのセイフテーデポジットボックスで
   のお金の紛失。ホテルで海岸へ出る大理石の階段での妻の転倒による怪我。帰国直前
   に突然のスコールで傘がなくずぶぬれなになったことだ。
                           


  7、 旅行中に感じたこと
   自然がいっぱい
   
コロンボ周辺を除いて自然がいっぱい、緑がいっぱい、鳥や動物がいっぱ
   いで車で道を走っていても野生のイノシシ、マングース、リス、サル、
   オオトカゲなどにたびたび出会った。

  ・外国人価格
     寺院や植物園などへの入場料やレストランの料金に外国人価格があること、それも
    3〜15倍と様々だ。

    ・敬虔な仏教国
 
    
仏教の信仰に篤い国だけあって殺生をしない、たとえばレストランに入って蚊が
    いたので見ていると従業員がその蚊を両手でそっと包んで屋外に放っていたこと。
    また寺院の敷地内(境内)へ入るときは裸足になり帽子や傘もとり、仏像と一緒に
    写真を撮るときは仏像に尻を向けない、などだがチェンマイやミャンマー、ラオス
    などの上座部仏教の国では、境内に入る時は裸足になったり帽子をとったが、傘がだ
    めだとか仏像と一緒に写真を撮る時はお尻を向けるな、とまでいわれたことはなかった。

   ・故ジャヤワルナダ元大統領
       
大の親日家である故ジャヤワルナダ元大統領の配慮について。第2次世界大戦の戦後
   処理として
19519月のサンフランシスコ対日講和会議にセイロン代表として出席し
   たジャヤワルナダ大蔵大臣(当時)はソ連の修正条項に反対し「憎悪は憎悪によっ
   て止むことなく愛によって止む」という仏陀の言葉を引用し対日賠償請求権を放棄。
   日本は真に自由で独立した国でなければとソ連の制限案に反対し、参加国に寛容の
   精神を求め「アジア随一の外交官」と国際的賛辞を勝ち得た。このことは現地の人々
   はよく知っているようであるが日本人としては知る人は少ない、勿論我々も知らな
   かった。また彼は日本にたいして「日本、日本人がなぜ好きかというと、西欧に対し
   て独自の存在を示しているからだ。それに仏教国だから」と述べている。現在スリラ
   ンカに対する経済援助は日本とアメリカで
60%を占めている。





・スリランカの食事 
    
 スリランカの食事としてのカレーについて。我々日本のカレーとは全然違う食事である
   のには驚いた。大きな皿にご飯を一杯入れて、その横に香辛料のよく効いた野菜や魚や肉
   を別々に入れた小皿が出てきて、その中から自分の好きなものを好きなだけ取りご飯の大
   皿に入れてかき混ぜて手(我々はスプーン)で食べるというもの。アジアのインドネシア
   やタイやマレーシアでよく食べられている食事の仕方だ。

写真説明 左下 ガイドさんの友人の家に招待されて、スリランカの家庭料理 カリーをごちそうになる。
ヌアラエリアにて
右下 ヌアラエリアのレストランでカリー料理を食べる





 世界を代表する建築家としてのジェフリー・バワについて。
 
日本でこそ知名度は低いがスリランカ生まれのバワはスリランカのみならず世界で代表
する建築家だそうだ。今回は彼の建築したホテルを2〜3ヶ所見てきたが、特徴は規則的
な直線を多用しながらも、その土地の持つ自然の魅力を最大限に生かした建物と異色な内装
や調度品である。私は建築のことは良く知らないがなかなか見ごたえのあるホテルだと感じた。
特にゴールにある「ライトハウス・ホテル」の自然を生かしたホテルには感心した。次回訪問
した時には是非宿泊したいと思った。

写真説明 左下ジェフリー・バワ設計 ベントータ ビーチホテル
右下ゴール ライトハウスホテル

平成18年3月10日 高橋琢也 恭子

トップページに戻る