<2 0 0 2 年>
<巻頭言&表紙>
・12月(No285)
11月(No284)
10月(No283)
9月(No282)
8月(No281)
7月(No280)
6月(No279)
5月(No278)
4月(No277)
3月(No276)
2月(No275)
1月(No274)
<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No285)  <巻頭言> 

*画像汚れ

大谷山:百瀬川
右俣源頭部のブナ
2002年11月4日
撮影:西村高
 (11月ぶな:No284)  <巻頭言>

 「童神(わらびがみ)」という子守唄の詩の一部です。

 ♪天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に 生れたる我が子 祈りこめ育て
 ♪イラヨーへー イラヨーホイ イラヨー、愛し(かなし)産我子(うみなしぐぁ)
 ♪泣くなヨーヤ へイヨー へイヨ一 大陽(てぃだ)の光受けて
 ♪ゆいにヨーヤ ヘイヨー ヘイヨ一 健やかに育て

 子守唄など意識したことがありませんでしたが、先日、テレビ番組でこの曲を聴いてから、なんとなく頭から離れません。

 この曲は古謝美佐子さんという沖縄の歌手の方が、ご自分のお孫さんの誕生をお祝いして書かれたもの。番組の中で紹介されていたご本人からのメッセージには「母となつた娘ヘのそして私を産んでくれた母への万感の思いをこめて書きました」とありました。

 子守唄というのは、子供のためだけにあるこものではないのですね。子守唄は、母ヘのなつかしさも思い出させてくれます。この唄を聴いて“雨風も暑さも寒さも…、わたしが身を楯にして守るから、健やかに立派に育ってほしい”という、親から受けた愛情を感じつつ、新しい生命を育てていけたらと思いはじめた今日このごろです。拉致やテロや事件の報道に「生命」のことをいっぱい考えさせられる毎日ですが、人を傷つけたり殺したりしない生命を育んでいきたいものです。

  記:藤本 恵美
 

いで湯から見るモミジ
行けない方表紙で我慢
馬場き
 (10月ぶな:No283)  <巻頭言>

 お世話になっている山本さんの頼みとあって、二っ返事で承諾したもの前号や前々号のような立派なこともかけず困ったのが実情です。

 入会させて頂いて数ヶ月の新鮮な(?)内に比良雪稜会の感想を若干述べさせていただきます。

 会の山行き計画などが、会報のみで詳細についての内容が判りずらいと思われます。例えば、何時に出て、何時に帰ってくる予定とか、費用とか。会の運営なども、もうひとつ見えてきません。

 鳳凰3山に同行させていただきましたが、一緒に行っているのにばらばらに歩いているけれど、そんなものですか。

 鳳凰3山では、10数人だったけれど、9月の例会では3人でした。40数人の会員がいるにしては、あまりに少なくさみしい思いがしました。

 私の提案ですが、毎月の例会は3-5名の委員で計画するのはいかがですか。

 最後に、山行(さんこう)という言葉は、多分山をやる人の専門語らしいですが、山行き(やまいき)の方が響きがいいように思いますが、皆さんいかがですか。

  記:藤野
 

山にごぶさた
キャンプの火が
懐かしい
 (9月ぶな:No282)  <巻頭言>

 私事で恐縮ですが……。
先日、妹の嫁ぎ先で法事が有った。帰り際に例のごとく供養の品を手渡された。果物や冷菓などの他に「カタログギフト券」が入っていた。掲載品の中から欲しい品をチョイスする最近流行りのアレである。数日後、忘れぬ内にと思ってカタログを開けた。化粧品、アクセサリー、数日後食器・食品、健康用品、電気製品等々実に多種である。しかし、考えてみると大概の物は手元に有る。無いものでも特に必要を感じない。家族に聞いても「なんでもいいやん」とまるっきり無関心。そうか、我が家は貧しいと思い込んでいたのに、案外そうで無いのかも? 

 折しもTV、ではアフガニスタン難民の近況を報じていた。戦火が一応収まり、避難を余儀なくされていた幾十万の人々が、夫々の住み家へと戻りつつ有るとの事。しかしその家の屋根は吹っ飛び、壁には大きな穴が開いている。仕事も無く、明日の食料の保証も無いと云う。

 振り返って咋近の日本は何かがおかしい。ロクに働きもせず、遊ぶ金欲しさに人を欺いたり、果ては弱者を殺したり。地位のある人が汚職や億単位の脱税を企てる。一流?の企業・組織までもが不正や偽装にはしる。あげくに家族までもが犯罪のターゲットにされる。

 皆さんは、どのようにお考えでしょうか?

  <S.Yamada>
  

南アルプス
例会山行
写真:山本修
 (8月ぶな:No281)  <巻頭言>

*画像汚れ
 
 (7月ぶな:No280)  <巻頭言>

*手書き
 

焼岳登山道から
笠ヶ岳を望む
武藤
 (6月ぶな:No279)  <巻頭言>  心の原風景
      
 東京生まれの東京そだちの私は3歳の時、終戦を迎えた。焼け野原の空き地には焼けただれた野良猫の姿をよく見かけた。しかし、その空地から先に自然は復興を始めていた。四季折々に草花が咲き蝶々・しおからトンボ・殿様バッタ等、木立には蝉などの昆虫たちが、池など水辺には、かえる・ザリガニ・小魚などがたくさんいた。中学1年頃まで、雨の日以外は毎日のように昆虫や小魚取りに夢中になり、日の暮れるまで何時間も歩き回っていたように記憶している。黒い大きな家蜘蛛が蜘蛛の巣をどこの家の軒下にも作っており、竹竿の先に針金を輪にし蜘蛛の巣を巻き付け鳥もち代もりにして蝉や虫取りをした。ザリガニは、スルメイカの切れ端をたこ糸にくくりザリガニのいそうなところにたらし、はさみで掴んだところを釣り上げる。誰が考えたか定かでないが、すべて子共達の手作りである。しかし、経済の発展と共に自然は失われ、かっての面影はない。
 小学校2年の時、疎開先の親戚の所で夏休みの一か月間を過ごした。日本の里山の原風景そのものだった。それこそ朝から晩まで食事以外は家に戻らず、野山を歩き回った。そで無しの下着と半ズボンに丸刈り頭、汗だらけの身体も、田んぼで、かえるを取って泥だらけになっても、近くの小川で洗い落とし、家に戻れば、裸にされ頭から井戸水をかけられきれいにしないと家には入れない。しかし、そんな事が普通であり誰も怒らない。唯一怒られたのは、取ってきた、かえるを虫かごに入れ自分のふとんの中で一緒に寝ていたのを見つかった時である。かわいそうに、かえるは一晩で水分を失いすっかり弱っていた。反省・してます!
 山紫水明といわれる日本は、国土の七割近くが森林で、周囲は海に囲まれ豊かな幸にも恵まれていた。しかし、現在は環境破壊が進み林野や水田の荒廃と併せ豊かな海までも失いつつある。経済の繁栄は永遠に続く訳でなく。経済の停滞が永遠に続く訳でもない。ただ変化だけが永遠に続く、かって地球を支配していた巨大な恐竜も滅びた。
 生物にとって非常に大切な大気と水を守り続ける為にも、人間と自然の接点である里山を大事にし、地球を支配し始めた人間がいつか巨大な恐竜にならない為にも!「心の原風景」を次の世代にも残したいものです。

  記:武藤

「別山から見た美しい
岩稜の剱岳」
2001.8.13
剱岳に登りました。
午前3時劔沢小屋の
テント場を出発し
剱岳を往復、テントを撤収し
午後4時30分に
室堂ターミナル到着の
強行軍でした。
当時はお盆の時期で
大変混雑していましたが
思い出に残る山でした。
また登りたいとは
思いませんが・・・ 
 (5月ぶな:No278)  <巻頭言>
   
     

私の大好きな山
横山岳で出会った
山シャクヤクです。
季節は花とともに
進みます。
すみ代

 (4月ぶな:No277)  <巻頭言> 流れゆく雲のように

 ふと見上げると春の空に浮かぶ雪が流れていく。
 空気の流れに寄り添って、形を自在に変え、行方も知れず流れていく。そんな生き方もあるのかもしれないと思った。私たちは雲のようにもっと自由に生きて良いのかも知れない。
 今の日本の置かれた状況を見ると、政治不信・企業の倒産・リストラなどの暗いニュースぱかりが流れる。通勤の電車に乗っていても、何故か生気のない疲れ切った顔・顔・顔。戦後日本経済は高度成長の夢を追い求め、より強く、より高く、より速くと拡大が一番、物の豊かさが一番、お金が一番と追い求めてきた。
そして行き着いたのが今の時代…。そんな時ダーウィンの言葉を思い出した。

 最も強い者が生き残るのではなく、
 最も賢い者が生き延びるわけでもない、
 唯一生き残るのは、変化できる者である
 (チャールズ・ダーウィン『種の起源』より)

 私たちも自然の一部だということを,体で感じる必要があるかもしれない。

  2002.3.30 記:清水憲彦

 

3月24日に京都御所から
川端通り平安神宮
白川通り、丸山公園と
ウオーキング
してきました。
丸山公園の桜は
満開でした・
山口
 (3月ぶな:No276)  <巻頭言>

*手書き
 
 (2月ぶな:No275)  <巻頭言>

*画像汚れ
 

10月ごろにひざに水が
溜まってドクターストップ
がかかってはや3ケ月。
走れないつらさに
くじけそうになった日も・・
(は、なかったが)
元気に走り回る人が
うらやま~しかったです。
なんとか元にもどりつつ
あるひざをまもるために
日々スクワット
3000回!?
とにかく筋力アップ!
(自転車こぎがベストです)
とにかく山に行くぞ~!
土方


 (1月ぶな:No274)  <巻頭言> 琵琶湖と近くの山々

 いつのまにか気が付くと、山と雪稜会のメンバーとの付き合いのほうが、仕事や他の人間関係よりも長くなっています。少しづつ深まっていくのは時の経過とともに、写真、絵画、陶芸などのアート関係の分野への興味です。最近わたしに深い共鳴を与えているのは、る-むぶなのギャラリーで展示された高井瑳智子さんの彩陶花器や中井純子さんの絵画などです。先日世界潮沼会議の準備として寺川さんと琵琶湖の海岸の景観や環境をみて廻ったとき、印象を与えるのは残っているわずかの場所ではあるが、コンクリートで海岸と河川を固め尽くすのから免れた、葦の群生した海岸、日が沈むときの美しい湖北の湖畔、などです。それは江戸時代に松尾芭焦が同じように見た風景かも知れません。今年の9月にスエーデンに行って気付いたのは、これからの30年で大切なのは、過去30年コンクリーートで固めてしまった海岸と河川をできるだけ自然な形にもどすという目標です。
 僅かに残っているこのような日本の原風景、琵琶湖の水、海岸、河川、琵琶湖を取り囲む山々を背に受けて、山を上ったり、湖畔を走るのはささやかであるがとても豊かさを感じる時間です。


  新年明けましておめでとうございます

     比良雪稜会にとって地固めと飛躍の年に!
  会員・会友・家族共々健康で幸せな年でありますように!
    楽しくも充実した山行を!皆で楽しい会に!
  そして「山」を楽しみながら、その美しい山・自然を次代に残せるように
    1人1人が小さな事でもよい。行動の年にしよう!

                  会長 西村高行

 

積雪期の比良・西南稜
から武奈ヶ岳
比良山系の最も美しく
かがやく時の
一つであろう
撮影:西村和代