<2 0 0 3 年>
<巻頭言&表紙>
・12月(No297)
11月(No296)
10月(No295)
9月(No294)
8月(No293)
7月(No292)
6月(No291)
5月(No290)
4月(No289)
3月(No288)
2月(No287)
1月(No286)
<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No297)  <巻頭言>

 *手書き

2003.10.26
野点山行兼登山祭典
雲洞谷山頂にての
野点風景&鷹ケ峰
のブナ大木
(写真:西村高)
 (11月ぶな:No296)  <巻頭言>

 秋、山の紅葉が美しい季節を迎えます。お変わりございませんか。比良雪稜会に入会して早くも4年が経ちます。先月末、ぶなの印刷が進み、何の気なしに「編集後記」を書いていると「字、ちっちゃーい」「小さくて読めへん」の声。そういえば、1年前も、その前も言われたような気がします。もちろん、入会まもなく山行報告を書いたときも。自分としては、環境が変わり、興味のあるもの・好き嫌い・考え方も年々変化していると感じていますが、案外変わらないことがありますね。4年間、「私って字小さかったんや」と1年ごと新鮮な?気持ちで受け止め、「大きい字になってきた」と感じるのもつかの間、いつのまにか、もとに戻ってしまっているようです。そんなささいなやりとりも楽しく、ぶな作りに出かけております。またいつか皆さんと山行もご一緒できますように。

 記:藤本 恵美
 (10がつぶな:No295)  <巻頭言>

 2000年春 主人の母が倒れて以来思うように山行が出来なくなった、山へ行かなくなると登山のための筋肉がどんどん衰えていくのが分かる、筋肉の衰えと平行してひざの痛みが出てきた。山に行こうと思うと、母の食事やその他もろもろのことが気になりストレスがたまります。考え方を変えて、今は山へいけない時期と決めたらイライラもなくなりました。
 2・3日前NHKで「ピークを目指さない登山家」のテレビを見ながら(そうだピークを目指さなければ自分の好きな時間に出てフィトンチッドを浴びて時間が来れば下山すればよいのだ)と思うことが出来ました。
 ここ暫くは「ピークを目指さない登山」をしようと思います。

  記:馬場深雪
 (9月ぶな:No294)  <巻頭言>  夏がく~れば思い出す~

 今年も終戦記念日が巡ってきた。当時の私は9歳。あの日は墓参のため、妹2人と共に、母に連れられそ京都の南部、山城町上狛へと向かったのでした。近鉄の山田川駅から数Kmを歩いて、木津川に架かる泉大橋へと」▼差し掛かった。この橋を京都側に渡れば母のお里である。
 たぶん午前11時前後でした.いきなり空襲警報のサイレン。物陰から見上げると、敵のグラマンが1機で数機の日本の練習機を追い回している。不思議な事に銃撃はしていない。間もなく警報が解除になった。ひと安心して橋を渡るぺく中央辺りに差し掛かった。その時突然、頭の真上方向からグラマンが〈ギユーン〉と急降下してきた。私達は皆、反射的こ欄干の下隅へ身を伏せた。敵はそのままどこかへと飛び去った。全く一瞬の出来事だった。家族一同とにかく無事を喜びながら母の里へたどり着いた。そこで開いたのがあの≪玉音放送》だった。  
 もしあの時撃たれていたら、太平洋戦争での本国最後の犠牲者たなるところでした。危うく敵の気まぐれに救われた。お陰様でこの歳まで山へも登れていません。あの爆音は今も耳の奥に残っている。あの様な体験はもう繰り返したくありません。いつになれば此の青い星の隅々まで平和が訪れるのでしょうか?全人類がそれぞれの立場で考え行動しなければと思う此の頃です。

  記:S。Yama d a

2003年夏
飯豊連峰
大日岳を望む
 (8月ぶな:No293)  <巻頭言>

 去る7月19日、淀川水系流域委員会琵琶湖部会若者討論会があった。その席で、村上悟君が下記のような発音をされ、参加者全員がその発音に深い感銘を受けた。
 彼は、滋賀県余呉町の生まれで、生まれたときはもう既に、高時川上流部に位置する丹生ダム計画が持ち上がっていたという世代である。

 彼の発言タイトルは、
 土地に学び、人との対話を重ね、分断されたつながりを取り戻したい、である。 このタイトルから、ぷなの読者は、彼の言いたいことを読みとっていただけるだろう。 彼は、こうも述ぺています。

 私達は、相互理解をするために、言葉をもち、通信手段を持っています。なのに、面倒なことは行政に押しつけ自ら対話することを避けてきました。その結果、人々の暮らしは行政の縦割りで分断され、人と人とのつながりは薄れて地域社会が崩壊しています。他人任せの公共事業を繰り返していけばいくほど、私達は土地との関わりや人間同土の関係を失い自分という存在が空虚なものになっていきます。今、一度、河川管理や社会基盤整備は行政がやるものだ、という思いこみを捨てし、自らが主体となって社会基盤作りを進める覚悟を持つことから、自然の再生と地域社会の再生、そして自分自身の人生の充実が始まると思います。
 こんな素晴らしい若者のことを伝えたくて、掲載させて頂きました

  記:A・K

種の保存ということ
全ての生き物は様々な
工夫をして種の保存
をはかっている
ブナは雌雄同株であるが
自家受粉しないように
雌花と雄花の熟する
時期をずらしている。
そしてより優れた子孫を
残そうとしている。
その仕組みの巧妙さに
知れば知るほど
驚くばかりである。
 (7月ぶな:No292)  <巻頭言>
     ”志賀町長のリコール署名の運動に参加して”

 署名数7、165筆(リコールに必要な署名数5,937筆)比良山系権現山の麓,和邇栗原地先に県が計画している大型産廃焼却施設の建設計画こついて,住民に全て知らせないで町長が勝手に誘致をしました。しかし,「白紙撤回」を求める町民に対して,町長は「白紙撤回」はしないと言明,また町民に背を向け説明責任も果たそうとしない等無責任な態度に終始した。
 一方では豪華な庁舎の建設や,清林パーク,温泉施幾等の建設に湯水のごとく税金を注ぎ,この11年間で241億円の大幅な借金を作りだしました。また,産廃施設の用地取得に当たって,この土地保有業者に対して税の徴収義務を怠り、町に特別土地保有税等2億円余りの損害を与えています。(現在大津地裁で裁判中)そして,このような状況で町長は大津市との台併を目指し、6月の法定協議会の設置を図っていた。
 14年12月15日、町長のリコ-ルしか「白紙撤回」を勝ち取る方法がないとして,リコールの会が発足し,運動を展開することになりました。私も会の一員として休みごとに宣伝力ーで町内全域回ったりしました。5月3日からの署名開始には当初60~80名程度で活動を開始、その後,運動の広がりにより,順次参加される方が増え最終的には834名の受任者が誕生。自分の人生の中で,このような貴重な運動に参加出来たことにやり甲斐を感じました。しかし,署名活動は時間との戦いであり,人海戦術が効果的な取り組みでした。訪問をしても留守が多く一筆の署名を貰うのに4~5回も足を運ぶなど無駄と思われる様な動きもしました。土日は勿論のこと,平日も仕事からめ帰り9時頃まで署名に入り,また,駅前での署名にも参加しました。2週目頃には,なかなか署名が進まず,寝付きも悪くなり,何とかしなければと焦りが生じてきました。私の団地は町長の地元であったが、多く受任者の協力を得て、団地での署名の見通しが出来た時点で,他の地域への応援に入る等積極的に取り組みを展開しました。…(ローズタウン・南浜・中浜・今宿・高城・和邇中)署名の訪問先でも,署名を断るところはありましたが,署名を待ち受けておられる方、署名は出来ないが投票になれば必ず行きますとの励ましの言葉があったり、運動をしていく中で町民の皆さんが、この町長ではダメだ,変えようとの思いをひしひしと感じました。この運動を通じ、これからは、リコール投票,新町長の誕生へ向けて、本番の運動が始まります。全町民一丸になって「白紙撤回」を目指して、頑張る必要があります。私も出来る限り努力をしたいと思っています。
 会員・会友の皆さんの暖かいご協力をお願いします。早く終わって山に川に行きたいと思っています。

  記:藤井 す

中岳避難小屋
02年8月荒川三山
~赤石縦走
 (6月ぶな:No291)  <巻頭言>
            トレッキングツアーに参加して‥

 ミヤマキリシマが見所と霧島新燃岳3日間の格安シアー11、800円こ参加。(通常片道フェリー代・大阪~宮崎間‥約9、000円)参加者44名(女性7割位)行き帰りはフェリー内泊8:20着、宮崎港からバスに乗り換え、えびの高原レストセンターでトイレ休憩・天候は曇り山頂はガスで見えず、周辺にミヤマキリシマが点在する。バスの横で餅つきを見付けカメラを構えると帽子が突風で網焼きの網の上た落ち慌てる。大荒れの天候に、ここから、地元のガイドが夫婦で参加、新湯温泉登山口で下車、主人が先頭・奥さんが中・添乗鼻(悪声だが美人と本人の弁)最後尾に付き出発(9:40)。
 道行きの木や花の名を先頭のガイドが説明、口づてに後ろに伝わるが現場に着くと探すのに一苦労、写真など取っていると遅れ、武藤さん遅れないようにと、しんがりの美人の悪声が!では前方にと思うが皆歩くのが早く一苦労。林道を過き河原で一本を取る。 ここから登山道となり、道も狭くなる幸い獅子戸岳と薪燃岳の鞍部の手前迄は谷間で風も弱く順調に進むが昼食を取る場所が無く比較的風の弱い広い場所で昼食を強風を避け防寒用のジャンパーを着るが寒い。しばらくすると、しんがりの添乗員がザックを二つ持って到着、4名が、ばてているとの事。この天候では4人だけ下山させるそうだ!霧と強風で、これからは稜線歩きの為、防寒用として全員力ッパを着用。ところが新燃岳から下山してきた地元の人の話では強風と突風でストック無しでは転倒の危険が!ミツバツツジのトンネルも無く、ミヤマキリシマの良いところは、この上だが残念だが引き返す事に。1時間の温泉入浴が1.5時間で手を打つ。
 帰路(19:10発)のフェリーは低気圧の影事で大荒れ船内は実っ直ぐ歩けない程の大揺れ、睡眠中も波頭に船底がドーンと当たる音が、朝方には気分も悪くなり目を覚ましトイレに睡眠不足?但し、朝食は最後の二人になるまでゆっくりと取り下船。バスを待つ間、他のツアー客と情報交換、韓国岳のコースでも縦走を止め下山との事。ところが、嘘の様な本当の話(70歳の人が突風で2回転、そこで信じられない事が着地で転倒せず、すっくと立ったそうです)本当?武道の達人か偶然か?マァー怪我しなくて笑い話で済んで良かった!
 しかし、今回のコースは初級者向け。ガイドの歩き方は息が切れない程度で結構早いペース、写真など撮っている時間は無い。参加者は結構健脚揃い、歩き慣れていない人には少々きついと思われますし、両夜行で旅慣れた人向きでした。
 それに引き替え、我が雪稜会のリーダー達は花の写真の時間もゆっくりくれるし、覚えの悪い者にも何度でも繰り返し教えてくれるし、花の時期や場所も適切だし、本当に雪稜会に参加して良かったと、しみじみ感じる今日この頃でした。

  記:K・M
  

「立山:雪の大谷」
に行き思った事
人と自然の調和と
環境保全に官民
ボランティアが協力し
維持されていることを
感じました。
雷鳥も人を恐れず
人も雷鳥に危害を与えず
写真に収まっていました。
武藤
 (5月ぶな:No290)  <巻頭言>

 *手書き

癒系、燃焼系と
世の中何かと○○系
あいまいでハッキリ
決まらない。
そのくせ、いやされたい
ねんしょうしたいと
欲はあるのですが・・
まったく今回は五月を
テーマにしてみました。
 (4月ぶな:No289)  <巻頭言>


春になりサクラも
咲きました。
自然はまいねん同じ様に
やってきます。
ゆっくりと確実に
でも人間社会は
まてない人が、
すぐに結果を求める事が
あたりまえの様です。
ひとももう少し
ゆっくりいけば・・・
 (3月ぶな:No288)  <巻頭言>

 *手書き

シールはずして~
パイプ―のけむり~
明日は行こうよ~
あのいただきに~
あ~すは行こうよ~
あのいただきに~
いや~山スキーは
楽しいです
すべれなくても歩くだけでも
楽しいです。
ひしかた
 (2月ぶな:No287)  <巻頭言>

 *手書き

小学校の時、ストーブ当番
があって学校に早く行って
石炭ストーブの
火をつけていた。
今の子供はあんなこと
出来ないんじゃないかな~
懐かしい思い出です。
山口や
 (1月ぶな:No286)  <巻頭言>
    2003年の世相言葉「自然環境」「輝き」

 ちょっと気が早いが、年末には「今年の世相を表わず言葉として、”自然環境」と「輝き」が選ばれました。」と言うニュースが聞きたいものだ。21世紀にはいり、世界の潮流は「自然環境の保護育成」に転換し、日本もようやく「開発から自然保護」へのうねりが見られるようになった。県内では、「金居原ダムの建設中止や内容は不充分ながらも「琵琶湖のレジャー利用舟の適正化に関する粂例制定など。また淀川水系流域委員会において丹生ダムや大戸川ダムも「原則建設しない」方向で国交省への提言が議論されている。但しいずれもぴわ湖白然環境ネットウークなどの自然保護団体や市民の粘り強い運動があっての事。運動が無ければ、何も変わらない。
 「登山」には、人それぞれいろいろな楽しみ方、目的がある。ピークハント・花・樹木・美しい林・岩稜・写真・展望・新緑・雪山・動物や鳥との出会い・汗・山頂や稜線の心地よい風等々。しかしいずれにしてもそのペースとして「美しい自然」があってこそ成立つ話である。この楽しみ・喜びは未来永劫に引き継がれなければならない。「山・自然を大いに楽しむために、私たち自身も自然にやさしい登山を心がけなければならないし、ささやかでも、出来る範囲で何らかの「自然環境」を守る或いはよい事を実践すべき。

 比良山系権現山の麓、志賀町栗原における大型サンバイ焼却施設建設計画は、白紙に戻してほしいものだ。県が「貴重な動植物が生息する豊かな自然が残り、改変の好ましくない地域と指定しているにも拘わらず、自らその自然環境を壊そうとしている。志賀町長の売り込みに、県が適地かどうか全く検討もせす乗ったもの。全く合理性の無い場所決定経緯である。湖南7市町のサンパイと一般ゴミを僅か3%しか出ないしかも最も端っぽの志賀町に持ってこようとしている。候補地選定について県自ら策定した)基本方針に全く当てはまらないのに。地元住民も同意していない。またサンパイと一般ゴミを日本では例のない混焼を想定しており、どんな危険物質が出るか判らない。地元自冶会を中心に白紙撤回を求める運動が続けられている。今年は正念場だと思われる。私もささやかでも協力したい。

 それ以外でも、労山にふさわしい清掃登山や水質調査・携帯トイレの取組みなど、山を楽しむ事に加え、無理のない範囲で何か社会に役立づことをしょう。それらが大きな輪になって、拡がってほしいものだ。                          
 人が何かの目的・目標をもって一生懸命あるいはコツコツと努力している姿は美しいもので、輝いて見える。山でも環境でも仕事でも趣味でも、何でもよい。私たちも小さい事でも輝きたいと思う。
そして年末には自分で自分を褒めてやりたい。

  記:西村高行