<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No309)  <巻頭言>

 10月に「自然と生き物に触れて、見えない世界とのコンタクト」(東京図書出版会発行)というタイトルの本を出版しました。この内容のほとんどは、私が山に登ってきた体験から生まれました。
 山や自然は、時には厳しい危険な環境になります。しかし、人間は山の自然や植物や生き物に触れる生活を送っていると、人間もそれらとつながっていることがわかるようになります。山に登って体を動かすと共にそれらとのコンタクトは、ストレスを癒し心のバランスを取り戻し、身も心も健康にしてくれます。さらには四季をとうして山の美しい風景は、感性も育ててくれます。山を通じて体験してきた、こめようなことを、一冊の本にまとめました。
                 
  記:藤田 悦史

初冬の穂高連峰
南岳新道より
岡田
 (11月ぶな:No308)  <巻頭言>

 平和の中に生かされている有難さ
  織田が搗き 羽柴が捏ね 天下餅
   ただ らく らく と 喰うは 徳川

 日本史で言う戦国時代は人生50年と言われました。14歳で海軍に入隊した60年前は、人生25年と言われ、お国のために死ぬのは名誉な事だと教えられました。今はアメ傘の下にドッボり浸かり人生85年といいつつ、他国の紛争を傍観しています。
「この平和のお蔭で山へ登れるのだ」と感謝しつつ。いつまでも皆さんに附いて行けるか解かりませんが、これからも元気に山登りが出来るこを願っている毎日です。

  記:天岡

天狗原からの
秋の槍ヶ岳です
尾畑
 (10月ぶな:No307)  <巻頭言>

滋賀県に移り住んではや16年になる、京都.大阪にも住んで居たが私はこの滋賀県が一番好きだ。当初いやがっていた家内も今は滋賀県に来て良かったと言ってくれている。三人の子供たちの成長期はここで本当に良かったと思える。年月と供に子供たちは成長し独り立ちして行った、三人供家を出ていったら夫婦二人で楽になっていいね、と言っていた家内も最後の一人が出て行ってからは寂しさせいか口数が少なくなり、二人の胸にもこの家にも大きな風穴があいた様になった。50の半ばに成って人生のすべての休験はした
つもりだっやが、初めて大きな体験をした様に思えた。
若いころにはもっと大きな体験をしているはずだが、それに気付かなかったのか、いや
”気付く余裕もなく前進して居たのだろう。”
人は一生あたらし体験と供に成長して行くものだとつくずく思えた。
                              
初めての山へ登り切ると、すがすがしい気分を体験する。私はこれからもいろいろな山への体験をするだろう、それと供に人生の初体験もまだまだつづく様に思える。
 山のピークや技術は目指しても人生のピークは目指さず歩いて行こうと思う。

  記:尾畑


天に向かって
大きく枝を広げる
ブナの木!
そろそろ色ずき
衣替えする季節!
楽しみです。
すみ代
 (9月ぶな:No306)  <巻頭言>

 我が家め狭庭に小鳥の運んできた木々がいくつかあります.先ず三つ葉アケビ(春には紫色の小さな可愛い花を咲かせ,秋こは紫色の見事な大きな実をプレゼントしてくれます)アケビ,ムベ,カクレミノ(タカノツメに似た丸い黄緑色の小さな花を上向き付けます。沿岸地帯に多いと聞きますが,最近は庭木に据えられているところもあるので‥)ハグマノキ(別名スモークツリーとも呼ばれる花序全体が白煙のように見えます,これも秋には見応えがあります)最後にヒロハツリバナ(去年よりお目見えした木で,未だ花には巡り会ってはいないのですが、葉の形などでそうだろうと考えています。咲くまで後何年,紅い実が大変楽しみな木です)その他難点、マンリヨウ,シャリンバイ等の贈り物があります。マタタビの花が好きなので近いうちに落として欲しいものです。
 楽しみをくれた小鳥さんに感謝
          
  記:木本
 

小鳥さんの
プレゼントです。
 (8月ぶな:No305)  <巻頭言>

 総会のあった11月の朝、予定していた山行を取り止めたため、久しぶりに早朝の散歩を楽しみました。久しぶりの曼荼羅山にするか普門の田んぼコースか迷いましたが、朝から汗をかくのも嫌だと思い、田んぼのほうへ行くことにしました。5月の連体ごろに植えられた稲がすくすくと育ち、青田が一面に気持ちよく広がっていました。でも、昔の田んぼに比べ、いろいろな生き物がいなくなってしまったようです。道端の草や稲にもちいさな無数の露がきらきらと朝日にかがやいていました。すこし進んでいくとトウモロコシ畑から聞きなれない鳥の鳴き声が聞えてきました。雛鳥でもいるのかと思い鳴き声のする方へ近づいてみましたが、草むらの中で姿は見えませんでした。気配で飛び立った小鳥もいましたが、私の知らない鳥でした。新宿橋を通り過ぎ、ほどなく右手にあるクリーニング屋さんの横に、真野川の改修工事で一部が取り残され小さな池のようになっているところがあります。そこに、夏になるときれいなピンクとシロの蓮の花が咲きます。
 昨年は時季を逃してきれいな蓮の花を見ることができなかったのですが、今年は丁度きれいな見頃に見られました。岸の近くで咲いていた蓮の花の中を覗いてみました。お盆頃になると青い蓮の実がよく花屋さんで見かけますが、花の中心にある直径数センチほどの花托は、咲き始めてから散り始める頃までは、それはきれいな黄金色をしているのです。(何本か見たところ)いつも遠めに蓮の花を見ていて、お花の中まで見たことがなかったので新鮮な驚きでした。春にもイワカガミで同じような経験をしたことがありましたが、両方ともお花にはあまり匂いはあリませんでした。次は真野川の堤防の上を歩いていきました。川の中に珍しく鴨のつがいがいました。本で調べるとカルガモでしたが、それより少し小ぶりのようにもみえました。それから家の近くの神田神社に立ち寄りました。ここに池があってこれまで2回カワセミを見かけ、今回も期待して行ったのですが見られませんでした。境内にはご神木のような古木のスダジイの本があり、タカノツメ・コシアプラ・常緑樹が寄生しているためなのか、かなり樹勢が衰えているようにみえました。池のほとりに他の木に混じって合歓の木がありピンクの可愛いお花をつけ、一部は菱の葉のうえに載っていてまるで菱のお花が咲いているようにみえたのでした。40分足らずの散歩でしたが、家を出て身近なところで自然に触れ五感を働かせているだけでも心身ともリフレッシュできたのでした。もちろん夏場の散歩後にはシャワー浴と水分補給が欠かせません。
 いつまでもこうした思恵が被られるようにと、願っています。 

  記:まさき


八雲ケ原の
アサギマダラ
 (7月ぶな:No304)  <巻頭言> 「健康と定年」

 定年退職して2年が経ちます。比良雪稜会の活動に参加して感じた事は、「定年」会社を退職しなければいけない年齢であり、人生における 「定年」とは、全く関係ないように思いました。健康であり続けるる限り年齢ではなく、その人の持つ人生観に大きく左右される様に思いました。また、何か趣味を持ち、夢をもち続ける限り人は、その目標に向かい努めて努力しようと思います。それが心身の衰えをカバーし、前向きな人生に繋がるように思います。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが70歳で世界最高峰のエベレスト登山に成功した快挙や父親の100歳で親子4代のスキー滑降に挑戦!など、大部レベルは違いますが?夢をもち続け目標に向かい努力している姿を映像で見ると、その結果を示してくれた解りやすい例ではないでしょうか?誰か三浦さんの真似をして足首に重りを付け登山していた雪稜会の人がいました。(これからも頑張ってね!)
 身近な話に戻りますが年齢を感じさせない人達を見ていると、やはり隠れた処で日頃から努力をしている様に思われます!「青春は歳とは関係ない」などと人を煙に巻くような言葉だけでは、駄目なようですね!元気な人は歳に関係なく明るく活動的で次々と新たな目標を立て「今が青春」と言う感じです。幸い、会の例会や個人山行に誘われ、毎週の様に山行をしていると筋肉痛はなくなり山歩きに必要な体力が自然に付いてきたように思います?しかし、若い頃と違い躓いたりバランスを崩しやすくなった様に感じます。また帰ると2~3日は、疲労回復の為に充分な休養が必要です?やはり若くはありません。昔痛めた膝や腰も心配ですが次の山行計画に夢を燃やし、これからも大好きな山歩きを続けたいと思います。その為にも適度なトレーニングなどを考えなければと思うこの頃です。山は、中高年向きのスポーツだと思います。まず歩ければ誰でも出来ますし、年齢と共に衰えやすい瞬発力を要する筋肉でなく持久力や柔軟・バランス感覚を持続させる事が大事なようです。定年後、暇を持て余す事もなく、多くの人達との出合も有り、色々と学ぶ事も多い今日この頃です。健康で活動的な明るい人達の仲間に入れる様、人それぞれ悩みや問題は少なからず有ると思いますが?そんな事を、忘れさせるような生き方をしたいものです!一番大切な事は、「継続は力なり」で、うまずたゆまず「人生の青春時代?」を少しでも永くしようと思います!
                             
  記:武藤
 

八方池から
白馬三山を望む
左には五竜に鹿島
右手には白馬三山
八方池が
 (6月ぶな:No303)  <巻頭言> 笑う円には福来たる

 「笑う門には福来たる」子供の頃より祖母に良く聞かされた言葉でした。「人が笑うと幸せになる」というのは、気持の上だけではなく医学的に体の中の生理作用が変わり、モルヒネに似た構造のホルモンが生産されるとか、日野原重明医師のエッセイに目が…

 「笑い」の効用が注目され笑いによる生体反応が次第に解明されている。ガン細胞を破壊する一種のリンパ球であるキラー細胞が、ガン細胞を攻事し一時的に病気の進行が抑えられる、糖尿病にも笑いの刺激を与えると血糖値が一時的に下がってくるとか、免疫力が付くそうです。いろいろな苦しみがあっても、相手に思いやりを持って笑顔で接するそれが成熟した真のユーモア、であると書かれてあった。103歳まで天寿を全うした祖母の青葉が憩い出されるその頃は医学的にも解明はされていない時代の知恵はスゴイと感服して
います。笑顔を絶やさずに‥を実践するように心がけて居る、定例会にも定番参加、山を元気に歩ける事はやはり福が来てくれたと思っている、共に笑いシワも連れて来てくれました。
                           
  記:岡 和子
 

北八ヶ岳の春
紅白の色どりそえる
花桃の
はるかむこうに
そびえる天狗
 (5月ぶな:No302)  <巻頭言> 

 *手書き

新緑の美しい
ときですね!
貴方の様に
若いときの・・
刈込池のブナ
 (4月ぶな:No301)  <巻頭言>

   
 

春がすみはよく
みられますが
雲海はなかなか
出会えないものです
山に行っていると
あの時、あの人と
あの場所で、と
一生に一度くらいしか
見られない
シュンカンがあります。
コタニ
 (3月ぶな:No300)  <巻頭言>

 *画像汚れ
 

もう!これ以上
自然破壊をしないで
豊かな里山を
何時までも
残してほしい~
弥生
 (2月ぶな:No299)  <巻頭言>

 「いやー、せち辛い世の中たなりましたねェ‥」

 私のところは田舎で小さなタバコ屋をやっておりますが,昨年末に自動販売機の硬貨を銀行へ持っていきましたところ,平成16年1月から500枚以上の硬貨を入金された場合は315円の手数料を頂きますと,言われて一瞬何のことかと思いました。そして両替についでも手数料をいただいておりますと,平然と言ってのけるのでした。
それでは、極端に言えば1円硬貨を500枚持参しても、315円の手数科差し引かれて185円しか入金できないのですかと尋ねると,そうなりますね、と言うのであった。「ムカッ」として皮肉まじりに言ってやったのですが、終いには銀行にきて「息」をしても金を取るの違うかと・・・・・
すると奥にいた女性の行員がニタッと笑っていました。

 郵便局では振込みの手数料は140円ですが,銀行では840円も取っています。私は郵政の民営化には賛成ですが,郵便局と銀行とでこんな格差があることを、たくさんの国民が知れば賛成は得られないのではないでしょうか。
              
 最近の銀行は不良債権の山を抱えて手数料稼ぎに狂奔しているように思えます。どんな企業や団体でも,社会的な使命や存在価値というものがある筈です,銀行には通貨の円滑な流通を行うという使命がある筈です。1円玉でもれっきとした日本の通貨です。場合によって500円の価値のあるものを185円しか認めない様なことは、日本経済発展の一翼を担っているはずの銀行に許されることでしょうか。
私たち比良雪稜会は毎年、登山道の飲み水検査を行っておりますがこの検査には今まで県より補助金が出ていましたが、昨年打ち切られました。でも検査料は比良雪稜会の会費で賄い検査を続けております。これは登山者のためだけではなく,私たちに課せられた使命であると思っております。何事も経済的な理由だけで有料化や廃止をするのではなく、今一度原点にかえってそれぞれの社会的使命や存在価値を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

  記:石川 忠雄
   

 (1月ぶな:No298)  <巻頭言>

 ‘25周年を迎え、気持ち新たに地に足つけて歩もう!’

 比良雪稜会は今月で満25才を迎える。会報「ぶな」も3月で300号となる。
中味はともかく、「4半世紀、それなりに活動を続けてこれた事」だけは、自慢出来るのでは。創立から関わった者(事務所提供で抜けられなかった?)としては、感慨深いものがある。自分で自分を褒めてあげたい。ささやかに次は30周年を気持ち良く迎えられることを願う。

世の中イラク派遣(兵?)、年金間題、国債(国の借金)発行も過去最大の36兆円(小泉さんの公約は30兆円であったが)、「盗」や「殺」の続出等々、やりきれない話が多い。志賀町では県計画の大型サンバイ施設建設の白紙撤回を掲げた新町長の誕生といったチョッビリ明るいニュースもあったところに、そこへ比良山のリフト・ロープウェイの3月末での廃止の衝撃的なニュースが突然入ってきた。
静かな山が戻ってくる期待もあるが、一方足の弱い人にとっては山に触れることが難しくなる。
経営難から撤退ということなので、如何ともし難い面が強いが、功罪いろいろあると思うが、私個人的には現状以上の開発は絶対にしない前提で何らかの「存続」の道がないものだろうかと思う。

さて比良雪稜会であるが山の会である以上、「例会山行」が基本だと思う。リーダー部だけにおんぶでなく、会員皆から積極的な例会山行希望と例会山行計画が出てきて、またリーダーも皆が交代でどしどしやる。そんな楽しい会となる事を目指そう。初心に帰り、個人の楽しみと並んで会・仲間との楽しみを盛り上げようではありませんか。その会員を繋ぐのが会報である。情報は会報を通じ、会員に公平に共有されなければならない。その意味でも会報は大変重要である。

何事も投げやりにならず、無意識に流される事なく、自分の考えをしっかり持ち、地に足つけて歩んでゆきたい。とにかく今年も楽しく山に登り、楽しく会報をつくり、楽しく少しは環境によいこともやろう!

  記:西村 高行

冬のブナ林
綿向山にて
2003年1月26日
西村高:撮影
<2 0 0 4 年>
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