2 0 0 7 年 
<巻頭言&表紙>
・12月(No345)
11月(No344)
10月(No343)
 
9月(No342)
8月(No341)
7月(No340)
 
6月(No339)
5月(No338)
4月(No337)
 
3月(No336)
2月(No335)
1月(No334) 
<巻頭言> 表紙&表紙の言葉
 (12月ぶな:No345)  <巻頭言> 自然の恵み

サンデー毎日となって数年が過ぎようとしている。たまたま野菜を作る土地に恵まれて、私はいわゆる日曜菜園をやっている。貴方の職業はと聞かれたら〔百姓〕と称している。
 普通の日曜菜園の方よりは少し多くやっていると思う。夏野菜等は殆ど買ったことがない。ただ、あまり多く作ってもと“ほどほど”にしている。夏野菜は殆どが連作を嫌う為20~30m位の場所を5区画ほど開塾して構えている。山の緩斜面をしかも竹が侵食していろところなので開墾は難儀であった。
 私は有機野菜を目指してやっている。堆肥、鶏糞、牛糞以外の肥料はやっていない。勿論農薬など言語道断その為、特に葉物野菜等は虫がついてボロボロになる。畑に入った都度虫取りに追われる。スーパー等で販売されているものはどれほど農薬を使っているのだろうかと懸念する。特に成長過程の子供が食すること、その影響が心配だ。虫に食われた野菜が“安心だ…いいものだ,と店先に並ぶようになるのはいつのことか。
 山もまた自然の恵み。添加物を加えたり、加工されない自然を望みたい。

  記 K.F
(No345)

(表紙の言葉)
800mの稜線に15cmの積雪
湖西駒ケ岳の初雪です。
いよいよ初雪ですね
~。
たのしみや~
やまもと
 (11月ぶな:No344)  <巻頭言>

お天気は最悪。行きから帰りまでずーと雨雨雨。
一日目涸沢泊まり。翌朝、ザイティングラートク経由で奥穂高をめざすのが安全だが、北穂沢を行きたいと云う私自身の希望があり、北穂まわりで奥社をめざす事にした。
途中まではどんよりと雲が垂れ込めていたが、雨は止んでいた。北穂高岳直前で土砂降りの雨になった。北穂から奥穂への縦走には涸沢岳を越さねばならない。
今回のコース中最難関である。手がかり足がかりは充分とはいえ雨で滑るし、注意を要する。また高度感があり、怖いところだが今回はガスで下が見えず幸い。三日日は吊尾根経由で前穂に登り、岳沢へ下山のコース。奥穂の頂上は超満員。吊尾根も先行パーティーが大人数で難場で渋滞し、岩壁の細いところにつかまっての待ち時間で身体は冷え切るし、前にも進めず後ろへも下がれず最悪の状況となった。しかもその先行パーティーと云うのがどうも韓国人らしく言葉も通じず、パス申し入れも出来ず、仕方なく順番持ちしたが、遭難一歩手前だった。(実際先行の他パーティーで滑落事故があり死者が出た模様==中高年の女性)やっとのことで上高地に下山し、ビールで乾杯した時、リ-ダーとしてメンバーを危険な状態に陥らせた責任でみんなに申し訳なく、一方で無事下山出来たことでホットとし、涙がでた。
これは4年前の夏、私が,リーダーで「穂高に行きたい」と云うだけのほとんど初心者の5人を連れて北穂~奥穂~前穂を縦走した時の感想文です。結果的に予定通り無事に下山出来ただけで、完全な失敗山行でした。
その後、この時のメンバーとは山どころか交際そのものが途切れてしまいました。パ-ティーを組んで登山をする時は皆んなの「喜び」を得る事がリーダーとしての「喜び」につながると云う事を知りました。
今夏、晴天の下で雪稜会の精鋭たちと北穂~涸沢岳を行き、感慨ひとしおでした。

  記:秋本邦和
(No344)

(表紙の言葉)
虎鶫
全長29.5cm程でキジバトより小さいからだ全体の虎の斑模様からこの名がついた。全国の良く茂った林で繁殖し、秋冬には北の地方のものは暖地へ、奥山のものは低地にいどうする。「岳人」より
 (10月ぶな:No343)  <巻頭言>

 (*手書きの為、未掲載)
 
(No343)

(表紙の言葉)
おととしのお盆に登った東北・大朝日岳への基点の宿「古寺鉱泉・朝陽旅館」です。盛況時の筈なのに、どういう訳か、空いていて、二階の一室をあてがってくれました。やや白濁のちょうど良い湯加減に浸りながら聴く、カジカ蝉の鳴き声が旅の身に沁みました。
 (9月ぶな:No342)<巻頭言> 富士山未登頂の弁

 富士山にまだ登ったことがない。富士山は日本一高い山だから、一人で登るのは心配だが、本格派の岳友に声をかけても、「ふじさんネー」と一笑にふされるだろう。しかし、私の体力は年とともに確実に弱くなる。というわけで、結局、8月1日、同年配の友人を誘って、ガイド付きのバス・ツアーに参加した。これで、仮眠の宿も確保できて安心というわけだ。
 まず、前金支払いの予約で迷う。その日の天候がわからないので、週間予報などで判断するしかない。名古屋発のバスが名神高速を走って、富士ICで降りて北上すると、西の方向からの富士山を間近に見えた。やがて、次第に高原らしい雰囲気となり、上九色村や青木ヶ原樹海など、なじみのある場所を過ぎて、山麓を北側にまわると富士五湖、やがて富士スバルラインで一気に五合目まで上昇すると、高度はすでに2000メートルだ。バス・プールは老若男女でいっぱいで、手洗いが有料となる以外は、都会の繁華街とかわらない。広場にある案内板には、北岳や塩見岳が描いてあるが曇って見えない。
 登山ガイドと一緒に登り始める。外国人観光客の登山者も多い。英語、韓国語、中国語などか耳に入る。日頃の不摂生がたたって、この行程でかなり難渋した。暗くなってから、八合目の小屋に到着すると、カレーライスが配膳され、頭を打ちそうな場所で仮眠をとる。午前1時に小屋を出発したけれど、風はおさまりそうにない。9合目にも達しないうちに、先行した集団があきらめて降りてくる。個人山行なら強引に進むところだが、ツアーだから自分だけで判断できない。結局、ガイドの判断で、登頂はあきらめて下山となった。
 ところで、そっくりの形の火山は外国にもあるそうだが、富士山は日本の代表的な風景となっている。しかし、世界文化遺産には指定されてはいない。静岡県と山梨県とが共同で登録をめざす運動をしているのだが、当初、ごみやし尿の処理が不十分であるという理由で国内候補地からもれたそうだ。つぎに、最近、山梨県が「五合日以上や登山道」だけではなく、富士五湖周辺も登録地域に含める構想を示したところ、富士五湖周辺の町村が「あらたな規制が観光ビジネスに影響を与える」として反対したそうである。景観すぐれた比良山系と比良山麓湖西地域にとって、よそごとではない難問である。
                        
  (会員 八木三木男) 
(No342)

(表紙の言葉)
秋ですね、きのこですね、でもこれは食べない方が~
(岩篭山にて馬場写)
 (8月ぶな:No341)  <巻頭言> 政務調査費あれこれ
                           
 政務調査費という公金で支払われるお金がいま注目をあぴている。

 政務調査費と議員の調査研究に必要な経費の一部を補助し、議員の政策形成能力や審議機能の強化のために支給されるお金。今その政務調査費を巡って話題がつきない。

1万円以下の支出には領収書がいらい自治体や、そもそも領収書を必要としない自治体もあったりと、税金の使われ方が実にずさんといわねばならず、市民に説明出来ない事例が沢山報道された。

 私の所属する大津市議会では、一人当たり月額7万円が会派に支始され、研究研修費、資料作成費、資料購入費等に使うことが出来、私も使わせて頂いている。
 大津市はでは1円でも領収書のみならず請求書もそして何時、誰が、何処で何に使ったかという支出報告書を項目ごとに提出する。
 それが、当たり前!

 一万円以上とか条件をつけるからそこに抜け道が生じて不正が生じる。
 先日、滋賀県議会議員の方と政務調査費について、話す機会があった。
 「ジュース一杯にまで嶺収書をもらうの面倒という方があるとか。
 そりゃ-、確かに面倒でしょう。そんなところにまで政務調査費を使わず、
 自分のカネで買え!と言いたい。
 そもそも、そのようなところにまで政務調査費を使える余裕があるということは支給額が多すぎるのではと‥?
 この政務調査費の支給額、規則は自治体で異なり様々な様だ。
政務調査費の適正額、支給の仕方等々もっと情報が市民に伝わり義論を呼び起こさ
れなければならない。
義会内部の改革を進めるにも、もっともっとどしどし市民から意見を言って下さい。
 参議院与野党逆転!良い機会です!

  記:A・K
 
(No341)

(表紙の言葉)
大江湿原(尾瀬)の
さわやかな朝。
 (7月ぶな:No340)  <巻頭言> 不思義な山:アポイ岳を想う!
                               
 アポイ岳は北海道、日高山脈の南端付近の西海岸から僅か4Kmに位置する花の山として有名です。標高は810mと低いにもかかわらず2000メートル級の様な不思義な山です!標高500mを越えるとハイマツ帯になり、高山植物の花々が咲き、しかも世界でここにしか無い「ヒダカソウ」が生えています。この花は我が国第二の高峰、北岳に咲く「キタダケソウ」と同種とも言われ国の天然記念物に指定されています!
 アポイ岳は、初雪も遅く積雪量も少なく日本で一番早く、また一番長く(5月~9月)高山植物の花が楽しめると言い、固有種を含め約80種以上の貴重な高山植物が確認されている様です!
 そして山頂付近ではハイマツに変わり、またダケカンバが生えると言う不思義です!なぜ、珍しい花々がこの山にだけ咲くのか?その理由は、この地域は、道内では温暖な地域に属し冬期は雪が少なく其の間は海霧に覆われやすく、気温が上がらない様です!(今年6月17日に登った時、地表の山は快晴で陽差しが暑い位ですが海面上100m位まで一面の雲海状態と言う不思議です!下山後、海霧の中に入るとまるでクーラーの中の様に涼しいのに驚きました!)
 またアポイ岳は「かんらん岩」という特殊な岩石が日高山脈の形成に伴い約1500~2000万年かけ地下60~75Kmの上部マントルが上昇露出して出来ている不思義です。「かんらん岩」は普通の植物の成長を妨げる働きがあり、それに適応できた植物だけが生き残った様です。この標高500mを越えハイマツ帯と「かんらん岩」の露出する馬の背と言われる処が花が多く、この「かんらん岩」の影響か?花の青色が素晴らしく綺麗です!(ビジターセンターで見た断面写真は宝石の様でした!)

 しかしこの山の高山植物にも今、危機が訪れています!
・一つは、地球の温暖化の影響で植生が変わりつつ有る事です!これは、地球規模の問題で深刻です!(ハイマツ帯の拡大が深刻の様です!)

・もう一つは、盗掘に依る被害です!これは地元の有志の方々が大変な努力をして登山道のパトロールや整備をされています!(業者・登山者等、皆で見守りましょう!)

・もう一つは、我々登山者のマナーの問題です!(ストック・屎尿等に依る土壌の損傷です!皆で気を付けましょう!)

  記:武藤
 
(No340)

(表紙の言葉
十勝岳(2077m)
十勝連峰の最高峰
30~50年周期で
噴火する活火山

 (6月ぶな:No339)  <巻頭言>

 「絶対バテない痛快・弱者の登山術」上林源二氏(滋賀ちごゆり山歩会)を読んで!定年を迎え5年が経つ、学生時代に痛めたヒザも、このところ小安を保っている。50歳半ばで雪稜会に入り、当初は仕事もあり年数回の低山歩きに参加するが下山時にヒザ痛が出て山歩きが不安だった。しかし不思態とアルプス等の高山を歩いている時はヒザ痛が出ない?どうも自分のペースで「ゆっくり歩く」事が足や身体に負担を掛けず筋肉疲労をおこさないコツと考えた!そんな時に出会ったのが上記の「絶対パテない痛快・弱者の登山術です。実に痛快なその文章に納得するやら感心するやら、すっかりフアンになってしまった!健康であれば歳をとっても自分に合った山歩きが出来ると諸先輩達の言動を見て身近に感じた次第です!
 ここに一部を紹介すると、この「術」で一番大事なところは「疲れないこと」である。「何時間歩いても疲れない歩き方」が、この「術」の「術」たるところだ、とある。しかしこれが難しい?ただゆっくり歩けば良いというものではなく一定の出力を保って歩く事。ここでは、常に体力の70%の力を保ちながら歩く。目安は呼吸が乱れない歩き方を心がけ心臓や筋肉に無理をかけない事とある。著者の上林さんは、この記事を書いた時70歳になったと書いている。この歩き方にこだわったのは、日本百名山の完登を目指す為、北海道や東北の山々は、一度に10山まとめて登る為、毎日1山・時には2山を登る事もあったという。これを実際にやって見ると思っていた以上の効果呆があった。とも書いておられる。
 私も定年後、時間が出来、会の例会や個人山行に誘われ、知らぬ間に週1ペースをこなすようになり、その後一回の遠出で2~3山を登って来る事もあります。この時「弱者の登山術」が大いに役に立ちました!65歳はクリヤー、次は70歳を目標にしたいと想っています!
 ある時、皆さんご存じの低山、湖北:赤坂山で私より元気な年上の方のペースに合わせハアハアと息切れする位の早足で半時間も歩いた時、一気に足に来て歩行ペースが落ち下山時にヒザ痛が出て結果、最後尾を足を引きずり下山した事を想い出します!やはり自分のペースを守り歩いていれば、そんな事も無く通しで見れば、そこそこのコースタイムで歩いている自分に気が付く事も解りました!
 私も登山歴だけは長く小学5年の時、林間学校で北八ヶ岳の天狗岳を目指した頃から山に目覚めました。(この時は悪天候で山頂手前で引き返し登頂は定年後でした)中学・高校時代は、中央線沿線の大菩薩峠等の山歩き。学生時代はWV部で南アルプス等多くの山を歩きました。定年後は雪稜会で山歩きを楽しみ、知らぬ間に百名山も後7山となりました。一度に10山の連日登山はとても無理ですが要は自分の体力に合った山歩きをする事が歳を重ねても歩けるコツではないかと思います。その為にも「継続は力なり」で日頃からの運動と健康維持が大切だとつくずく感じます!日本百名山なんとか今年中には、達成したいものと想う今日この頃です。

  記;K・M
 
(No339)

(表紙の言葉)
姿見の池から旭岳を望む
定年後、初めて登った
百名山が北海道の最高峰
大雪山旭岳でした!
 (5月ぶな:No338)  <巻頭言>  悠々と心楽しく

 昭和の名コメディアン植木等さんが先日80歳で亡くなりました。「サラリーマンは気楽な稼業ときたものだj とは同氏の有名な言葉であり、高度経済成長期のサラリーマンの悲哀を笑いでふっとばしていました。
 とびぬけに明るくハジケタ主人公を演じられていましたが、私生活ではたいへん礼儀正しい真面目な人であったとのことでした。
 サラリーマン生活を続けて30数年になりますが、いまだにストレスにさらされ人間関係に悩む日々が続きます。サラリーマンも気楽な稼業では決してありません。
 40にして惑わずとさとったのは孔子であったようですが、凡人である我々はいまだにそのような境地にいたることはできません。定年までにはなんとかそのような心境に近づきたいものです。
 ストレス発散のため始めた登山も、今ではすっかり生活の一部になりま
した。頂上から下界をながめ、下界での軋轢など小さい小さいと笑い飛ば
しています。しばしの間、心を落ち着けることができます。
 与えちれた現実をあるがままに受け入れて、悠々と心楽しく生きていきたい、そのように願っています。

  記:濱 島
(No338)

(表紙の言葉)
田上・堂山から三上山を望む

 (4月ぶな:No337)  <巻頭言> あの情熱をもう一度

 会には現在54名の会員さんがおられますが、常時会活動・例会等に参加されておられる方々は限られています。総会参加者もかろうじて23名ほどです。ここ2~3年ぐらいは団塊世代の人たちの入会も増えるかもしれません。がどうでしょう10年後の当会を想像してみると?…。
 県連総会でも各会の悩みは会員の高齢化と事故・後継者問題が第一の課題に挙げています。この現状を皆さんはどのように思われますか?
 山登りのスタイルはさまざまですが、会員になれば、例会・会報作り・会行事山行等、個人としての活動を制約される事も多々あります。しかしそれらの活動を包括的に積極的に自ら楽しむ気持ちがないと会としての活動・仲間作りは非常に難しいと思います。
 山岳会は組織で運営されています。”山岳会の根幹は山を登るという事と仲間作りから。そしてその土台は運営委員会とリーダー部の役目だ”とリーダー部長も言われています。このことについて皆さんもこの機会に是非考えていただき、そして山行での成功も失敗も貧欲に経験として蓄積し仲間との財産とすれば長い登山人生の中で有意義なものになると思うのですが如何でしょうか?
 私事で恐縮ですが、限られた条件と立場の中で貴重な時間をやりくしながら細々と山登りを続けています。下山した後に仕事に出かける事も度々です。でも感動は何時も新鮮で強烈です。毎夏若かりし頃の感動を再確認する為に穂高や劔に出かけます。皆さんが登山を始めた時の、そして比良雪稜会に入会された時のあの山への情熱を会活動の為に今一度見せていただき、皆さんのご意見と知恵をお借りできないでしょうか。

  記:奥 野
(No337)

(表紙の言葉)
大谷山から見た野坂岳
野坂岳
堂々たる風格です。
やまもと
 (3月ぶな:No336)  <巻頭言>

(*手書きの為、未掲載)
(No336)

(表紙の言葉)
雪山での三種の神器
・ショベル・ゾンデ・ビーコン
雪崩にあった人は15分以内にほりおこさなければ救助は
ムズカシイ

そのためには、この3っは必要です。
もちろん持っていても使えなければ
です。
 (2月ぶな:No335)  <巻頭言>
(No335)

(表紙の言葉)
今年は、暖かくて雪が少ない。
雪よふれふれ!
山口
 (1月ぶな:No334)  <巻頭言>
    
健康で、楽しみながら、高みへ一歩登ろう
 
 比良雪稜会は28回目の新春を迎えることになりました。
県連は30周年ですが、当会は2年後の2009年1月に30周年を迎える。
1年前の巻頭言で、「発展を遂げてきたが、中味は課題が山積みである。山岳会らしい比良雪稜会に」と書いた。その2006年はどうであっただろうか?
 山岳会への足がかりをしっかりとつかんだ1年であったと思います。救急法講習会・登山学学習会・雪稜会の集い(勉強会・懇親・登山)リーダー部会の毎月開催などステップアップヘの取組みが積極的に行なわれました。目的を持った山行の取組み、地図・磁石をよく見るようになったり、テント利用が多くなるなど、皆の学習意欲・山に対する真摯で前向きな意識の高揚が感じられます。まだまだ課題は多い
ものの、一歩づつ確実に前進している。
 県連写真展に出品するため、創立当時からの写真をいろいろ見ていて、改めて雪稜会の歴史と実積の重みに感慨を憶えた。 単に登山を楽しむだけでなく、自然環境を守り育てるいろいろな活動を行い、地域社会の中で信頼と一定の評価を得ていると自負するむ大いに誇れる山の会である。それらを更に発展させながら30周年に、そして次代にと引き継いで行きたい。
 ともあれ、2007年は昨年からの流れをさらに確実なものにし、皆が健康で、そして楽しみながらそれぞれ充実した山行や活動を通して、山岳会の高みへ一歩登ろう!

 さて私個人の体力づくり&健康方の1番はマラソンである。走る楽しさと共に体力・気力(根性?)も得られ、一石三鳥いや、いい汗をかくと気分爽快で、ストレスも吹き飛ばせるし、体力的に余裕があると気持ちにもゆとりが生まれ楽しく歩ける。又冷静な判断が下せることで安全登山にもつながり、四鳥・五鳥と言える。今年もフルマラソンを完走し、「体力だけは負けへんでー!」との気概を持ち続けたい。 ところがエラソ一に言っている一方で風邪を長引かせ、ゴホゴホしながら巻頭音に格闘している私がちょっと情けない。

  記:西村高行
(No334)

西南稜から武奈ヶ岳を望む
2002年冬・藤田悦史撮影