トップページに戻る
行先板、愛称板のページ(西日本編)
写真が裏返るサボもあります。マウスポインターをあてて、お楽しみ下さい。
関西から山陰方面
エーデル北近畿(特急)・・65系。1994年12月乗車。
大阪―浜坂を結んでいました。社会人になって大学の同期と湯村温泉に行った帰りに乗車。展望席の一番前に席を取ったものの旅の疲れで道中は殆ど眠っていました。どういう訳か運転席の横にたくさんのプラの行先板が置いてあり欲しく思いました。
  
ほくせつライナー(特急)・・65系。
「エーデル北近畿」の間合運用にて大阪―福知山を結んでいました。
  
エーデル鳥取(特急)・・65系。1994年12月乗車。
大阪―倉吉を結んでいました。社会人になって大学の同期と湯村温泉に行った行きに乗車。
展望席の一番前に席を取ったものの席は逆向きの固定とは知らず、城崎到着後、列車はガラガラになったので、前向きの座席に移動しました。
 このページの最初に戻る
エーデル丹後(特急)・・65系。
大阪―タンゴ宮津を結んでいました。
  
まつかぜ(特急)・・82、181系。
新大阪―鳥取、博多を結んでいました。大阪駅朝8時初の博多行きの1号はよく見かけましたが、果たして全区間を乗車された方は年間で何人くらいおられたのでしょうか?
   
はまかぜ(特急)・・82、181系。
新大阪―鳥取、浜坂を播但線経由で結んでいます。
   
あさしお(特急)・・82系。
京都―城崎、倉吉、米子を結んでいました。
  
丹波(急行)・・58系。
大阪―天橋立、福知山、城崎、豊岡を福知山線経由で結んでいました。
  このページの最初に戻る
丹後(急行)・・58系。
京都―城崎、敦賀、網野、東舞鶴を結んでいました。
   
だいせん(急行)・・58系、65系、20系、14系、24系等。1981年10月乗車。
大阪―浜田、大社を結んでいました。福知山から大阪まで乗車。2005年3月についに夜行の運行も廃止となりました。高速バスの影響をまともに受けたのでしょう。行先板の裏面は間に合い運用で使われていた鈍行列車用です。
   
みささ(急行)・・58系。
大阪―鳥取、倉吉を姫新線経由で結んでいました。
   
但馬ビーチ(急行)・・12系。
大阪―香住を結んでいた海水浴臨時急行です。行先板裏面は間に合い運用用でしょうか?
   
但馬スキー(急行)・・58系。
大阪―城崎、江原を結んでいたスキー臨時急行です。
このページの最初に戻る  
だいせん銀嶺(急行)・・?
詳細不明のスキー列車です。
   
但馬(急行)・・58系。
大阪、姫路―浜坂、鳥取、城崎を播但線経由で結んでいました。
一番下の行先板は臨時列車用との事です。
    このページの最初に戻る
みまさか(急行)・・58系。
大阪―中国勝山を結んでいました。子供の頃に大阪駅に行くたびによくアナウンスで聞いた名称でしたが高速バスの影響をモロに受け消滅してしまいました。
   
ひるぜん(急行)・・58系。
大阪―中国勝山を結んでいました。この愛称板は臨時急行として運行されていた時のものです。定期列車としては1975年の改正まで岡山―中国勝山を結んでいました。
  
白兎(急行)・・58系。
京都―出雲市を結んでいました。末期は京都ー米子に短縮されました。
  
わかさ(急行)・・58系。
京都―敦賀を結んでいました。
 このページの最初に戻る
みやづ(急行)・・58系。
大阪―天橋立を結んでいました。
  

快速(快速)・・58系?
この愛称板は「丹後」とペンキ塗りがしてあったのですがそれをはがすとこの様になりました。指定席はどんな列車で存在したのでしょうか?
   
列車名不明です。
 山陰地区
やくも(特急)・・181系、381系。
岡山―出雲市を今も結んでいます。
  
伯耆(急行)・・58系。
岡山―米子を伯備線経由で結んでいました。
  このページの最初に戻る
伯備(急行)・・58系。
詳細不明の臨時列車です。
  
砂丘(急行)・・58系。
岡山―鳥取、倉吉を結んでいました。末期には珍しいグリーン席と普通席の合造車キロハ28が連結されていました。
  
ちどり(急行)・・58系。
広島―鳥取、米子を芸備線経由で結んでいました。
  
さんべ(急行)・・58系。12系、20系。
夜行は博多―米子、昼行は小倉―米子、熊本―鳥取を結んでいました。
熊本―鳥取の列車は下関―長門市間において一方が山陰線、一方が美祢線経由で変則的な運転がなされました。
このページの最初に戻る 
美保(急行)・・58系。
福知山―出雲市を結んでいました。
  
石見(急行)・・58系。
米子―益田を結んでいました。
 
鈍行列車のサボです。
     
とっとりライナー(快速)・・58系。1996年12月乗車。
編成は短かったのですが走行はかつての急行列車を彷彿とさせるくらい速いものでした。快速なのに車内販売も営業しており結構飲み物が売れていました。裏面は間に合い運用で使われていた鈍行列車用です。
  
石見ライナー(快速)・・58系。
米子―益田を結んでいました裏面は間に合い運用で使われていた鈍行列車用です。
   このページの最初に戻る
 関西から山陽・九州方面
明星(特急)・・583系、14系、24系。1978年8月乗車。
新大阪、京都―西鹿児島を結んでいました。私が乗車した当時はブルートレインのブームで、当時小学生であった私にとってはじめての夜行列車でとても思い出深いです。この当時は7往復も存在しその中で京都発西鹿児島行きの583系に乗車しました。当初はこの列車よりも1本早い24系の予定でしたが某旅行会社の手違いによりこちらになりました。とにかく嬉しくて眠る事が出来ず、また寝台の天井の低さで何度も頭を打ちました。しかしこの乗車の後の時刻改正から段々と本数を減らして行き今となっては懐かしい列車になってしまいました。寝台列車が斜陽化している只中この愛称が復活する事は無いでしょうが思い出の中に生かしておきたいです。写真の愛称板は14系座席車のものではないかと思います。
   
彗星(特急)・・25系、14系、583系。
新大阪―大分、宮崎、都城を結んでいました。写真の愛称板は臨時便のものでしょうか?
   
あかつき(特急)・・14系等。
大阪―長崎を夜行にて現在も結んでいます。以前は佐世保まで行く編成も連結されていました。愛称板は12系の臨時便の物の様です。
  
月光(特急)・583系。
寝台電車のパイオニア。当初は新大阪―博多を結んでいましたが、新幹線岡山開業後は岡山―博多、西鹿児島となり、博多開業時に全廃となりました。
  
きりしま(特急)・・583系。
この愛称板は583系当時の物で京都―西鹿児島を結んでいましたが、新幹線博多開業時に「明星」のグループに統合されました。
 このページの最初に戻る
はと(特急)・・181、485、583系。
新幹線に都落ちをさせられ続け、この愛称板の頃には岡山―下関を結んでいました。583系の愛称板です。
   
夕月(特急)・・485系。
岡山ー宮崎を臨時でなおかつ夜行で結んでいました。
     
しおじ(特急)・・181系、485系、583系。
新大阪―広島、下関を新幹線開業まで結んでいました。写真の愛称板は14系座席車の臨時便のものです。
  このページの最初に戻る
うずしお(特急)・・181系。
大阪、新大阪ー宇野を結んでいました。
   
天草(急行)・・10系。
京都―熊本を新幹線博多開業まで結んでいました。
   
雲仙(急行)・・14系。
新大阪―長崎を結んでいました。私が父と鹿児島に旅行した際に列車待ちをしていた時にホームに入ってきました。お盆の時期だったのですがガラガラであった記憶があります。その時から僅か2年で廃止されてしまいました。あの簡易リクライニングシートで長崎に行くのは辛かったにちがいありません。
   
西海(急行)・・14系。
新大阪―佐世保を結んでいました。
  このページの最初に戻る
阿蘇(急行)・・10、14系。
新幹線博多開業までは名古屋―熊本、開業後は新大阪―熊本を結んでいました。
   
くにさき(急行)・・14系。
新大阪―大分を結んでいましたが、「雲仙」、「西海」、「阿蘇」と一緒に1980年10月改正で廃止となり短命に終わりました。
   
屋久島(急行)・・10系。
大阪―西鹿児島を新幹線博多開業まで結んでいました。
   
壇の浦(急行)・・14系。
新大阪―下関を結んでいた臨時夜行急行です。
   
音戸(急行)・・10系。
大阪―下関を夜行で結んでいました。新幹線博多開業後は特急「安芸」となりましたがわずか3年半で廃止となりました。
   
関門(急行)・・153系。
大阪―下関を結んでいましたが、「ながと」と改称されました。
  このページの最初に戻る
ながと(急行)・・153系。
「関門」から改称されました。
   
鷲羽(急行)・・153系。
大阪―宇野を結んでいました。新幹線博多開業後は夜行のみで運転されていました。
   
玄海(急行)・・475系。
当初は名古屋―博多、新幹線岡山開業後は岡山―博多、熊本を結んでいました。
  このページの最初に戻る
つくし(急行)・・475系、10系など。
大阪―博多を新幹線博多開業まで昼行と夜行とで結んでいました。ホーローの愛称板と行先板は昼行用の475系用です。
  
はやとも(急行)・・475系。
当初は名古屋―博多を結んでいましたが、新幹線岡山開業後は広島発となり、廃止直前にはビュフェの営業も休止してしまいました。
 
とも(急行)・・153系。
大阪―三原を新幹線岡山開業前まで結んでいました。廃止後運用を担当していた153系は「新快速」に充てられました。
   
山陽(急行)・・153系
岡山―下関を結んでいました。営業休止ながらビュフェ車が連結され、列車が新幹線博多開業で廃止後、その直前に運行から外されたサハシ153は数両が下関運転所に放置されていました。色あせボロボロになっていた姿が記憶に残っています。
  このページの最初に戻る
やしろ(急行)・・153系。
広島―下関を結んでいました。
  
べっぷ(急行)・・475系。
大阪―大分を昼行「つくし」に併結され結んでいました。
  
ムーンライト九州(快速)・・14系。2005年12月乗車。
新大阪―博多を今も春、夏、冬の繁忙期に結んでいます。
 このページの最初に戻る
ふるさとライナー九州(快速)・・14系、1996年12月乗車。
京都―博多を結んでいました。「ムーンライト九州」の年末運行時にこの様に名称が変わっていました。車両は簡易リクライニングシートで悪名名高い14系でしたが私が乗車した車両はリクライニングした後固定する様に改善されていました。でもやっぱり眠れなかったです。あと1度乗車しましたがシュプール用の車両には当たりませんでした。
  
新快速(快速)・・113系、153系、117系、223系。
これは153系の時の行先板ですがこの形式では新大阪さえも停車しない特殊な列車だったので1度も乗車する事はありませんでした。しかし白い車体に鮮やかなブルーの帯を巻いた塗装は今も鮮明に記憶に残っています。
  
東海道線快速(快速)・・113系。
この行先板をつけていた113系の運用は現在見ないのですが、1980年10月の時刻改正までは関東の113系と同じくグリーン車も連結していました。
  
山陽本線快速(快速)・・153系。
新幹線博多開業で廃止になった「山陽」、「安芸」に使われていた153系で充当されていました。
   このページの最初に戻る
関西から南紀方面
きのくに(急行)・・58系。1979年7月乗車。
天王寺―白浜、新宮を結んでいました。父との白浜旅行の帰りに乗車。夏休みの時期の自由席であったので席を見つけるのも大変でした。
    
くまの(急行)・・58系。
京都―串本を草津、関西、紀勢線経由で結んでいました。
    
しらはま(急行)・・58系。
京都―白浜を奈良、和歌山線経由で結んでいました。
  このページの最初に戻る
紀州(急行)・・58系。
天王寺―名古屋を結んでいましたが、後に紀伊勝浦―名古屋間に短縮されました。
     
かすが(急行)・・58系。
奈良―名古屋を結んでいました。私が子供の頃は数往復あり、しょっちゅう奈良でみかけたものでした。
    
志摩(急行)・・58系。
京都―鳥羽を結んでいました。なぜか平仮名になっています。
 このページの最初に戻る
北陸方面
きたぐに(急行)・・10系、14系、583系。1996年12月乗車。
大阪―青森をかつては結んでいましたが現在は新潟までとなっています。私は583系になってから例のパンタグラフ下の中段寝台に長岡から大阪まで乗車したのですが、やはりツウが利用するだけの価値は十分ありました。上段が無い為高さはA寝台を凌ぎ、あぐらをかいて着替えが出来るほどでした。それに引き換え下段の低さはかつての「明星」の時と変わりませんでした。
   
立山(急行)・・475系、583系。1981年4月乗車。
大阪―富山、糸魚川、宇奈月温泉を湖西線経由で結んでいました。中学生の頃に大阪から敦賀まで475系で乗車したのですがなぜかガラガラでした。この頃特急列車が増発傾向にあったので、既に落ち目になっていたのかもしれません。しかし湖西線内はさすがと思える走行でした。
   
ゆのくに(急行)・・475系、58系。
大阪―金沢を475系、大阪―輪島を58系にて北陸線経由で結んでいました。
愛称板は475系、行先板は58系の物です。
   
つるぎ(特急)・・20、24系。
大阪―新潟を夜行で結んでいました。
  このページの最初に戻る
越後(急行)・・58系。
大阪―新潟を結んでいました。
  
加賀(急行)・・14系。
大阪―金沢を結んでいた臨時急行です。
  
アルペン(急行)・・?系。
このサボでは大阪ー富山までを結んでいたときの物でしょうか?
  
能登路(急行)・・58系。1991年2月乗車。
金沢―輪島、珠洲、蛸島、七尾を結んでいました。かつては「ビデオカー」も連結され華やいだ雰囲気の列車でしたが、特急列車が七尾線を走るようになってからは凋落の一途をたどり、私が乗車したときには車内はロングシートが目立ち「庶民の足」になっていました。行先板の「⇔」部分の上にはシールを貼ったあとがあり、おそらく当列車で使用された物と思われます。裏面は間に合い運用で使われていた鈍行列車用です。
   このページの最初に戻る
鈍行列車の行先板です。
お断り・・行先版につきましては推定もあり、必ずしも愛称板の列車と一致しない事もあります事を予め御了承ください。
また、列車の地区につきましては発着駅が2つの地区にまたがるのもあり、必ずしも厳密にはなっていません。
トップページに戻る