鰊御殿(にしんごてん)
にしん漁場建設・旧田中家番屋・北海道指定有形文化財









当地に移築された、旧田中家番屋
 この建物は1891年(明治24年)、積丹半島西部にある古宇群(ふるうぐん)泊村のにしん網元、田中福松氏が7年をかけて1897年(明冶30年)に竣工したにしん漁場を代表する建造物で、1958年(昭和33年)当時創立70周年を迎えた、北海道炭礦汽船株式会社が現在地に移転復元した。
移転後、小樽市に寄贈され、1960年(昭和33年)「北海道有形文化財鰊漁場建築」として北海道の民家では初めて文化財に指定された。



浜辺に運ばれたにしんの山
 北海道西海岸に押し寄せた鰊は、「一網千両、万両」といわれ莫大な利益をもたらし
鰊漁によって財をなした網元が多数誕生した。
 小樽市鰊御殿の所有者であった田中福松氏も当時鰊大尽と呼ばれた積丹地方の有数の網元の一人。青森県東津軽郡蓬田村在中の田中吉兵衛の次男として生まれ、17歳の時(1854年・安政元年)叔父武井忠兵衛(積丹の古宇場支配人)を頼り漁夫として来道した。まもなく独立して鰊刺網から大規模な建網漁業(現定置網)へ移行し、業績を伸ばしていった。




大漁を祝って、ヤン衆が酒盛りした座敷



建物内部の資料展示コーナー


 当にしん御殿内には鰊漁や鰊加工に使われた道具を初め、鰊番屋で生活していた人々の生活用具や写真等が展示されている。
一部二階建て、総面積は611,9平方メートル(185.1坪)を誇り、基本的には北陸・東北地方の切妻造りの民家様式が採用されている。主な特徴としては、大屋根中央に形良く乗っている入母屋造りの煙だし、伽藍調を帯びた大屋根の庇、正面玄関の円形屋根と直線の小庇との対照、脇玄関の庇を支えている象鼻等があり、いずれも民家には珍しい建築様式で道産材や東北地方から取り寄せた檜等約3000石(540t)が使われている。長大な材木をふんだんに使った其の時代の鰊場親方の豪放さに驚嘆する。

にしんとは・・・・、鰊は「魚に非ず」
 江戸時代武士の俸禄(給料)は米で表された。しかし、日本最北端の藩であった松前藩には、家臣の俸禄に見合うだけの水田がなく、その代わりに豊富な魚貝類を活用した。ニシンは其の代表的な産物であったことから、魚として扱わず、米(給料)として扱う意味から鯡(魚に非ず)と書いた。鰊は硬骨魚、体長35cm、北方の海を回遊。春、北海道沿岸で産卵する。食用、肥料に利用される。卵は数の子、美味で知られる
2006・11・02  管理人記す。

文は鰊御殿「小樽市祝津3丁目228番地(0134)22−1038」のパンフレットより転載。
管理者  小樽市経済部観光課 TEL 32-4111(内線266)
写真は当時の風景を除き、2006年10月6日に管理人の撮影したものです。
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