日本銀行旧小樽支店
金 融 資 料 館




平成18年(2006)10月4日・管理人撮影

設計者 工学博士 辰野金吾・・・・工学士 長野宇平治・・・・工学士 岡田信一郎
 日本銀行小樽支店の建物は明治45年(1912)7月に竣工。
外観はルネッサンス様式を取り入れ、屋根には5つのドームを配置。外壁は、レンガの表面にモルタルを塗り、石造り風に仕上げているのが特徴です。
 時は流れて、平成14年9月、日本の最北端にある辰野、長野、岡田ゆかりの建築物、日本銀行小樽支店が明治45年(1912)から90余年の歴史の幕を閉じました。
そして平成15年(2003)5月、日本銀行旧小樽支店、金融資料館として生まれ変わりました。








上記の資料は日本銀行旧小樽支店金融資料館で,管理人撮影によるものです。
詳細はこちらのサイトでご覧下さい。日本銀行旧小樽支店金融資料館




明治45年頃の風景です。 2枚組

 小樽に日本銀行の派出所が初めて開設されたのは明治26(1893)年のことで、その後出張所を経て小樽支店に昇格となり、平成14(2002)年9月に営業を廃止するまで、地方経済の発展に重要な役割を果たしました。
 現在の建物は、明治42(1909)年7月に着工し、明治45(1912)年7月に完成したもので、北海道経済を担った小樽を代表する建物です。石造り風の外観は、レンガ造りの壁にモルタルを塗ったもので、銅葺きの屋根とともに銀行建築にふさわしい重厚な印象を与えています。
 設計者は、日本近代様式建築の先駆者である辰野金吾、長野宇平治、岡田信一郎の連名で記録されています。辰野は、日本銀行本店や東京駅といった明治・大正を代表する数多くの建物を設計しており、東京駅に代表される、赤レンガと白い花崗岩を組合せた「辰野式」と呼ばれている様式でも有名です。
 「辰野式」とは異なる外観のこの建物は、当時まだ20代の新鋭であり、以後、大正・昭和にかけて、日本建築の近代化に多大な功績を残す岡田の意匠よるところが大きいとも言われています。平成15年5月より、金融資料館として公開。
 岡田信一郎に関しては日本銀行小樽支店が竣工するのと、同じ頃、明治45年に、
大阪中ノ島に大阪中央公会堂、設計コンペ第一席に当選。
尚第二席には長野宇平冶が入りました。大阪中央公会堂は保存再生、改修工事が完成し平成14年10月25日から28日迄一般に公開されています。
建築家、岡田信一郎作品の行方(大阪中央公会堂・保存改修記念)
 大阪中央公会堂(大阪中ノ島公会堂)コンペ第一席に当選された。設計者・岡田信一郎(1883〜1932)です。東京帝国大学卒。のち東京美術学校「現在の東京芸大」教授。(大阪市公会堂コンペ「明治45年」の審査委員長は辰野金吾です。
 上記のサイトは管理人のメインのHP、「明治の建築家ののこしたもの」からリンクしたものです。ご覧下さい。尚このサイトで、惜しくも第二席になった長野宇平冶のイラストを公開しています。素晴らしいものです、ご覧下さい。



文責:明治の建築家ののこしたもの・三代吉記念館、管理人
本記録の無断転載は禁じます。2006・10・24

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