■へ〜そうなんやE (クリスチャン新聞より転載)
変わった結婚披露宴 |
20世紀に活躍したわが国の代表的日本人といえば 賀川豊彦の名を挙げる人も多い。 戦後、ノーベル平和賞の候補者にもなったこの社会運動家は、 もともと、キリスト教の伝道者として神戸・新川の地でその活動を開始した。 1909年(明治42)9月ごろである。 苦悩の中で神の愛を知った豊彦は、 クリスマス前日、荷車にふとんとわずかの衣類と書物を積んで、 新川の当時「貧民窟」と呼ばれた地区に引っ越した。 人々の困窮は予想以上に深刻だった。 豊彦は、不景気からもらい子殺しが頻発している実情を知って、 見るに見かねて、嬰児の一人を引き取った。 その地域は人間の矛盾と苦悩に満ちていた。 だが、自分の弱さを痛いほど知っていた豊彦自身、 人間の罪を負って十字架に付けられたキリストの愛にうながされて、 この地に留まる決心をしたのである。 その孤独な青年に、これ以上ないという助け手が与えられた。 1913年、豊彦は、神戸基督教会で、芝はると結婚式をあげた。 その席ではお茶一杯も出されなかったが、数日後、キリスト教の施設に、 新川に住む障がい者や貧しい人々を披露宴に招待した。 そこで出されたのは、三宮の一流の料理屋から取り寄せた寿司の折り詰めだったという。 豊彦はその披露宴の席で「私はお嫁さんをもらいました。 皆さんの中で病気や人手のいる時には遠慮なく申し出てください。 お嫁さんはお宅の女中になって働きます。 皆さんの女中さんをお嫁さんにもらったのです」と度肝を抜くあいさつをした。 |