■へ〜そうなんやC (クリスチャン新聞より転載)

牧師になった新撰組隊員


幕末のころ、京都の治安を守るために組織された新撰組は、

明治維新となるや存在理由を失い、隊員の多くは路頭に迷った。

愛知県の武家の名門に生まれ、

剣道の名手とうたわれた鈴木寿一もそんな一人だった

★幸い、鈴木は1875年(明治8)に知遇のあった愛知県知事の推薦で、

宝飯郡の長に任命されるが、

部下による公金費消事件の責任をとって私財で弁償、

再起を期して出てきた東京では相場に手を出したが失敗した

★失意のうちに、取引所からの帰り道、

にわか雨を避けて飛び込んだところがキリスト教の教会だった。

「罪が支払う報酬は死です。」

集会からきこえてた牧師のメッセージは、鈴木の人生を変えた

★1878年(明治11)、クリスマスに日本基督芝教会で洗礼を受けた鈴木は、

明治学院の前身の神学校に入学した。

40歳を超えて、千葉を皮切りに大阪、堺で牧師として奉仕。

引退したのは71歳だった

★明治期に60歳を超える現役牧師はめずらしく、

1907年8月発行の「福音新報」では養老問題特集で、

60を超えた元気な牧師として紹介された

★確かに、堺教会を10年間牧会した後、

一度は引退を表明したが、即隠居したわけではない。

なんと、大阪は八尾の地で72歳で召されるまで開拓伝道を続けたのである

★若き日の鈴木は剣術の達人だった。

だが、一度も人を切ったことはなかった。

後に、そのことは神の守りであったと感謝したという。