■へ〜そうなんやB (クリスチャン新聞より転載)

「お寺に泊まっていた宣教師」の話


横浜にある成仏寺は、

日本のプロテスタント教会の歴史を語る上で欠かせない場所である。

幕末から明治にかけて、

廃仏毀釈の嵐は各地の仏寺の存亡を危うくしたが、

それ以前にも時の権力者は海外からやってくる外国人要員の宿泊先に、

時代が軽視した仏寺を提供した

★日米修好条約が締結した1858年以後、

来日した医療宣教師ヘボンや、ブラウン、フルベッキなどは

横浜の成仏寺に宿泊している

★少し遅れて来日したアメリカのオランダ改革派教会のバラ宣教師も

最初に成仏寺を宿とした。

今は、建て直されて立派な仏閣となっているが、

残っている写真を見ると当時は、わらぶき屋根の粗末なお寺に見える

★バラ宣教師は日本最初のプロテスタント教会を設立した人物として

歴史に名を留めている。

その伝記にふれて感動するのは

日本を愛する宣教のスピリットであり、その祈りの姿勢だ。

最初の横浜海岸教会も、

初週(旧暦の正月)祈祷会から生まれたというが、

その群れを指導したバラ宣教師の祈りの生活は胸を打つ

★バラ宣教師の日課は、

成仏寺から南へ1時間ほどの所にある小高い丘まで毎朝、

散歩に出かけることだった。

今は捜真学園が建っている付近のその丘には当時、

大きな老松がそびえていた。

バラは、その根元に座り、

日本の救霊のため毎朝祈り込むのが常であったという。

今は、宅地となって、老松もなくなっているが、

その丘に立つと横浜の市街が一望できる。