■へ〜そうなんや 25 (クリスチャン新聞より転載)
― 日本ベースボール事始め ― |
![]() 野球の世界1を決める WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、 日本が第1回チャンピオンになったが、 そもそも日本にアメリカからベースボールが入ってきた年は諸説ある。 キリシタン禁制が解けた1873年(明治6年)もその一つ。 「明治6年の頃、大蔵省の雇であった 米人ウイリアム氏の甥ベーツ氏が・・・ 本国から持参した1本のバットと3個のボールを大切にしていた。 ・・・仮学校の聖徒達にゲームの方法を教え、 彼等の間に二つのチームを組織させ、 毎日放課後に対戦させ・・・」(「クラーク博士とその弟子たち」より)。 仮学校とは、開拓使仮学校のことで、 札幌農学校の前身である。 また、1871年開校の熊本洋学校でも 野球の指導がなされていたという話もあり、 75年に開校後は同志社英学校でゲームが行なわれたという。 札幌農学校は札幌バンド、 熊本洋学校は熊本バンドというように、 その草創期には多くのクリスチャンを輩出した所で、 その青年達がベースボールを知っていた可能性は大だ。 ちなみに、 札幌農学校第二期生の内村鑑三の長男・祐之氏は 東大野球部の左腕投手で、 後に、第三代日本プロ野球コミッショナーに就任した。 ![]() |