■へ〜そうなんや 23 (クリスチャン新聞より転載)

 「竜馬を切った男」

 1867年(慶応3)11月15日に事件は起こった。

京都の旅館「近江屋」の2階にひそかに集まっていた坂本竜馬、

中岡信太郎らは倒幕論について熱く論議していた。

午後9時ごろ、突然、京都見回組の7人が旅館を訪れ、

そのうち今井信郎ら3人が2階に駆け上がり、竜馬らに刃を向けた。

当時、京都見回組は新撰組と同じように、

幕府の体制を守るため京都の治安にあたっていた。

竜馬ら倒幕派は抹殺すべき最大の標的であった。

事件当時、この暗殺の真相は謎のままだったが、

明治33年、今井信郎の自白が出て明らかになった。

さて、暗殺を実行した人々の運命やいかに?

今井信郎らは幕府軍と共に徹底抗戦を叫んで、各地を転戦。

その後、榎本武楊軍と合流、函館五稜郭にこもるが、

函館陥落後、江戸に護送され、

竜馬暗殺の下手人として厳しい取り調べを受けた。

だが、逮捕当時は、徹底して容疑を否認。

保釈され、静岡は牧野原の奥に居住した。

ここで今井信郎に運命的出会いが訪れる。

同じ京都見回組で旧知の仲だった結城無二三の訪問を受け、

耶蘇(ヤソ)の話を聞いたのである。

結城は江原素六の影響を受けキリストを信じた。

1879年(明治12)に宣教師イービから洗礼を受け、

その日を機に人が変わったように路傍で伝道を始めた。

そして旧友である今井信郎との再会は摂理でもあった。

信仰を受け入れた後の今井信郎の生涯は、

地元民の尊敬を受け、村長となり、静かにその生涯を終えた。