■へ〜そうなんやR (クリスチャン新聞より転載)

私は殺人も姦淫も犯しました

「聖書に、〈兄弟を憎む者は皆、人殺しです〉とありますが、

私は放火も殺人も姦淫も窃盗もあらゆる罪を犯しました…。」

そう死刑囚に手紙を送った浅見仙作は、

なんとしてもその5人殺しの極悪人に神様の愛を伝えたかった。

自らは殺人も姦淫も犯してはいなかったが、

心の中にうごめく罪をその囚人には隠さなかったのである。

1909年、札幌刑務所でのこと。

その死刑囚は、この手紙がきっかけで回心した。

 1902年、開拓地北海道で、

洪水の被害に遭い絶望の中にあった時、

当時、札幌で聞いた聖書の「放蕩息子の話」で回心、

受洗後3ヶ月で13人をキリストに導いた。

以後、独立伝道者の道を歩む浅見仙作は、

内村鑑三の影響もあり、非戦・平和を強く訴え続けた。

第2次世界大戦でも機関誌を通して反戦的言動をやめず、

その再臨信仰も問題となり、

1943、治安維持法などで逮捕された。

 獄中、動物以下の扱いを受けたが、

老人にだけ差し入れを許された毛布を、

自分より身体の弱い同房者に分け与えた。

1945年6月、矢内原忠雄らの支援で無罪を勝ち取った浅見仙作は、

戦後、文書伝道こそ日本宣教の鍵と、

トラクト配布に情熱を燃やしたという。