■へ〜そうなんやL (クリスチャン新聞より転載)

讃美歌になった「荒城の月」


春高楼の花の宴…、で始まるのは、名曲「荒城の月」。

作詞は土井晩翠、作曲は23歳で世を去った滝廉太郎である。

歌そのものは、城址にたたずみ、

いにしえの戦いを偲びつつ情感にしたるというものだ。

 モデルとなった城址は、晩翠は仙台の青葉城、

廉太郎大分県の竹田のそれをイメージしたという。

その物悲しい旋律はいかにも日本風と思っていたら、

ベルギーでは何と曲の方が讃美歌として使われていた。

 曲を作った滝廉太郎は、

西洋音楽輸入期の先駆的な作曲家として歴史に名をとどめた。

1901年(明治34)4月にドイツ留学を果すが、

それ以前に、東京市麹町区上二番町にあった聖公会聖愛教会で洗礼を受けている。

 病弱な廉太郎は、志半ばでドイツ留学を断念。

郷里の大分で療養生活を送るが、

その時親交を深めたのが、聖公会司教のブリベだった。

 「荒城の月」のほか、「花」や「箱根八里」などの名曲を残しても、

自身、讃美歌を作曲したことはなかった。

後に「荒城の月」のメロディーがヨーロッパで讃美歌として歌われるようになったというのは、

クリスチャンとしての廉太郎にふさわしいエピソードと言える。