■へ〜そうなんやK (クリスチャン新聞より転載)

みかん飾りの十字架?

日本でキリスト教が解禁されたのが1873年(明治6)のこと。

その2年後、東京にあった原女学院で初めてクリスマス祝会が開かれた。

アメリカの公使館では、「日本で最初のクリスマスだから」と気を使い、

4名の館員を送り、下検分させた。

ところがすでに会場にはみかんで飾られた十字架があるではないか。

「イメージがちがう」とこれは不採用、

今のようなクリスマスツリーを作ったのはいいが、「初めから見せては効果がない」と、

芝居小屋から幕を借りてきてそれを覆った。

サンタクロースはちょんまげをつけた殿様風で登場したが、たぶん不評だったのだろう。

その後、広く普及することはなかった。

それでも大正時代にはいると、クリスマスは一般の人にも知られるようになり、

意味も分からずに家庭で祝う人も現れた。

ちなみに原女学校を創立したのは、

最初のキリスト教書店「十字屋」や東京新聞を発刊した実業家の原胤昭。

なかなかのアイデアマンで、明治初期の日本におけるキリスト教文化の普及に貢献した。

なお、原女学校は現在の女子学院の前身で、

外国のミッションの援助なしにできた最初のキリスト教主義学校である。