■へ〜そうなんやJ (クリスチャン新聞より転載)

1880年、上野精養軒にて


 1873年に横浜に日本人最初の教会が創立されてから5年もすると、

東京にも少しずつ教会が増え、超教派の大集会も、

久松座や新富座など、当時を代表する芝居小屋を会場に

しばしば開かれるようになった。

芝居小屋といっても、

2階席を合わせると2千人以上を収容したというから、今でいうと大劇場だ。

 当時の劇場はもちろん残っていない。

ただ、久松座は今の明治座の前身である。

そのような大集会は、やがて野外でも開かれるようになり、

1880年には、日本最古のレストランとして

現在も営業している上野精養軒の敷地内で、

本邦初のキリスト教大野外集会が開かれた。

 広告を打ったこともあり、何千人もの人が集まったが、

野外ということで、講師の声が全体には聞こえない。

そこで、会衆を小グループに分け、数人の講師がそれぞれ説教をしたという。

講師には、当時、名前が知られるようになった新島襄もいた。

 この歴史に残る大野外集会が

後々まで語り継がれるようになったもう一つのエピソードは、

中島信行がこの集会で信仰に導かれたことによる。

多分、この名を知っている人は、政治家以外はまれであろう。

日本の国会が開かれ、初代の衆議院議長となったのが、

だれあろうこの人物だったのである。