■へ〜そうなんやI (クリスチャン新聞より転載)

ヘップバーンさんの職業

高校時代に見た「ローマの休日」は生涯忘れえぬ名画となった。

王妃の悲恋を描き、愛することの切なさを味わったのも、この作品だった。

だが、どう考えてみてもヘップバーンという名前は響きが奇妙だ。

それだけに印象が強いのだが、

この名前にキリスト教の歴史の中で再会するとは思ってもみなかった。

ジェイムス・カーチス・ヘップバーンが正式な英語読みの名前である。

と言われても、この人物が誰なのか分かる人は少ないのでは。

オードリーの関係というわけではない。

だが、このアメリカ医師が1859年に来日したという事実は

プロテスタント宣教の歴史に大きな意味を持つ。

このヘップバーンさん。

ニューヨークで開業している時は名医の誉れが高かった。

もともと眼科専門だったようだが、

とにかく内科、外科問わず苦しんでいる患者の救済に奔走した。

当時の歌舞伎役者・沢村田之助の脱疽を見事治療したことで、

日本でも評判になり、その施療所には助けを求め、人々が殺到したという。

だがヘップバーンさんの本来の来日の目的は、日本語聖書の翻訳出版でだった。

医師としてだけではなく、言語学者としてもすぐれた才能を発揮。

ローマ字を作成した功績は計り知れない。

来日以来8年の日本語研究は聖書翻訳でも生かされ、

『和英語林集成』出版という大事業もあった。

ちなみにこの『和英語林集成』の版権を

丸善に譲って得た二千ドルを明治学院に寄付。

ヘップバーンさんの名前がついた校舎が建てられた。

もっとも、当時の日本人はHepburnという英語を正しく発音できなかったらしく、

みんな「ヘボンさん、ヘボンさん」と呼び、その呼称が今も一般的である。