■お父さん出番ですよB (ホザナ通信 2003年6月号より)
九代目・林家正蔵を襲名する林家こぶ平さんがテレビで語っていた。
落語家を志し、父三平さんのもとへ入門したとき、先輩に言われたという
「孝行したね。男親は息子に認められるのが一番うれしいものなんだ」。
客席喝采に慣れた昭和の爆笑王も、胸にかざしきた仕事への誇りを
わが子と分かち合う喜びは、格別であったろう。「父の日」がある6月の声を聞くと、
思い出す歌がある
「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子と映れよ」
(佐佐木幸綱)…。
どの仕事にも光があり、影がある。それを知り抜いた親心には複雑な思いもよぎろうが、
子供の目に「金色の獅子」と映っていたことを確認する貴重な瞬間に違いない
神戸の火災で崩れた屋根の下敷きになり、消防士13人が命を落とした。
その一人石丸佑介さん(23)は親子二代の消防士である。
父一彦さん(51)は大阪の消防署に勤務している
日夜、危険と隣り合わせに身を置いて、市民生活の安寧を守る…。
父親の使命感と誇りを仰ぎ見て育った子は、自らもいつの日か
「金色の獅子」たらん、と念じていたことだろう
息子から消防士になると告げられた父は、小さな事故ならば覚悟していたという。
「命まで持って行かれるとは…。夢ならさめてほしい」。
夢なら―無念の情がその一語に尽きている。
幼きわが子の目に「金色の獅子と映れよ」とはすごい願いです。
でも、お父さんなら心のどこかでこの願いをもっているのではないでしょうか。
少し前、妻が性懲りもなく私達の結婚式のビデオを子供達と一緒に見ていたのです。
すると娘(2歳)が「ママ、お嫁ちゃんダメ。
アブちゃんがお嫁ちゃん」と言いながら妻を叩いたそうです。
何とも可愛いことです。以前に書きましたが、息子は母親に、
娘は父親に恋をしながら育っていくものなのだと再確認致しました。
娘の目には私は世界でたった一人の
全幅の信頼を寄せられる男性として映っているのでしょう。
40歳を過ぎ、お腹もプックリ出ているにも拘わらず…。
さて、息子(6歳)の目には私はどんなふうに映っているのでしょうか。
牧師家庭という特殊な家庭の中で、息子は私を見ています。
教会学校などではコメディアンのように面白い私を見ています。
週日は聖書研究や祈っている姿だけでなく、カメの世話をしたり、掃除をしたり、
寝っ転がってテレビを見ながら寝ている姿を見ています。たまに夫婦喧嘩も…。
あヽ金色の獅子とはほど遠い…。しかし、息子が将来何になりたいと問われ、
「イエス様のお仕事」と答えたと聞き、親ばかにも嬉しく思いました。
それにしても「金色の獅子」とはどういう姿のことをいうのでしょう。
私なりに考えてみました。
勿論、髪を金色に染めることではないですよね。ではどういう姿でしょうか。
@健全な誇りをもって生きている姿です。雄ライオンはプライドの動物です。
男性も同じなのです。男尊女卑というのではありません。
お父さんが、家族・仕事・人生に健全な誇りをもって生きていることが
大切ではなのではないでしょうか。
Aヴィジョンを向かって生きている姿です。人が最も輝いているのは、
目標やヴィジョンに燃えて前進している時ではないでしょうか。
自分と家族が良い生活ができればいいというだけではなく、日本のために、世界のため、
後世のために、貢献するヴィジョンを持ちたいものです。
B勇敢に毅然として生きている姿です。失敗のない人生なんてありません。
生きていく先々に失敗や恐れが待ち構えています。
失敗することは失格者になることでは決してありません。
失敗とは、勇気をもって何かを成し遂げようとした勲章なのです。
ですから、失敗を恐れずに何かを成そうとしている姿は感動的です。
もっと感動的なのは、失敗してもそこから教訓を学び取り、
再び立ち上がって人生に挑んでいく姿です。
お父さんとてスーパーマンではありません。
手痛い失敗を喫して失意落胆している姿を子供達にさらけ出す時があるかも知れません。
しかしそこから立ち直り、愛する者のために戦い始める姿は、
子供達の心にどんなに感動を与えることでしょうか。
金色の獅子…。ちょっと重たい言葉です。
でも、お父さんの生き様は子供達の心に生き方の原型して焼き付き、
強い影響を及ぼしていきます。
共に頑張りましょう!(テモテ)