■お父さん出番ですよ24 (ホザナ通信 2006年2月号より)

                                     

 梅のつぼみもほころび始め、春がそこまでやってきました。

 ホザナ通信をお読みのお父さん、お元気ですね。

 今月も、拙文ですがご一緒に考えることができれば嬉しく思います。


  まずこの文章を書くにあたってお断りをしておきたいと思います。

 このようなことを書いている私自身が男として

 立派であると言おうとしているのではありません。

 一人の男として、また、息子を育てる父親として

 自戒と祈りを込めて書き記したいのです。


  『こんな「歴史」に誰がした』(渡部昇一・谷沢永一共著)において

 渡部氏はこのようなことを書いています。

 「私はかねてから「女は金、男は鉄」だと思っているのです。

 それはどういうことかと言うと、女性の場合は、

 幼い頃に特別に鍛えなくても立派な人が現れるケースが多い。

 子供の頃から、おっとり育てられて、別に世間の風にさらされたことがなくても、

 女性の中には頭角を現す人が出る。

 つまり、女性は生まれた時からゴールドの資質を持っている。

 そして金細工にすれば、さらに値打ちが上がる。


  しかし男はそれでは駄目なのです。

 男は鉄みたいなもので、放っておいたら錆びるばっかりなのです。

 しょっちゅう鍛えていなければならないし、

 鍛えるだけではなくて、たえず磨いていなければ駄目になる。」


  近頃の日本の男たちの軟弱さの理由の一つとして、

 渡部氏は、戦後の歴史教育にあるとしています。

 歴史に登場する人物のほとんどは男です。

 現在の歴史教科書はその男達が悪行を重ねてきたと教え続ける。

 そのような教育が酸性雨の如く男子学生達に注がれ、

 男であることに罪悪感を感じ、錆びついていくというのです。


  私は、男にとって必要なものは健全な誇りと使命ではないかと思っています。

 男として生まれてきたことを誇り、自分の果たすべき使命と責任を

 しっかりとグリップして生きることが重要なのです。

 テオドール・ボベーという精神医学者は、

 「男は弓矢の矢のような存在」だと言っています。

 飛んでいったら帰ってこないという意味ではありません。

 矢は地上に横たわっている限り、全く不自由な存在で役に立ちません。

 しかし、もし射放たれて飛ぶなら、その矢は自由な身になり、

 矢としての役割を果たすことができるということです。

 使命が男を自由にし、生命力を与えるのです。

 誇りもなく使命もないと、男は自らのエネルギー(性的エネルギーも含め)を

 正しく用いることができず、果ては錆び付いてしまうのです。


  現代は、未成熟の時代と言われます。

 訓練されることなく、磨かれることもなく、

 いよいよ人間が軟弱になる傾向にあります。

 これからの日本は大丈夫なのか…と心配でなりません。

 ですから尚のこと、

 気概を持った男が育ってほしいと願わずにおれないのです。

 先ほど紹介したテオドール・ボベー氏はこのようにも言っています。

 「一人の女性であるためには勇気がいる。

 一人の男性であるためには、恐らく尚それ以上の勇気がいるのである。

 勇気とはその際、不安を持たないことを意味するのではない。

 それは単なる大胆不敵に過ぎない。

 そうではなくて、勇気とは不安にもかかわらず、失敗にもかかわらず、

 また恥辱にもかかわらず行動することを意味する」。


  聖書の宗教は父性原理の強い宗教といわれます。

 その証拠に、聖書の神様を「父なる神様」と呼びます。

 聖書の父なる神様において「愛と厳しさ」が完全な状態で調和しており、

 父なる神様が人間を真の意味で愛し、勇気を与え、

 訓練を施し成熟へと向かわせるのです。

 この神様と共に歩んでみませんか。

 そしてあなたの息子さんを父なる神様のもとに連れてきてみませんか。


   「主は愛する者を訓練し、

 受け入れるすべての子を、 むち打たれるのである。」 聖書