■お父さん出番ですよA (ホザナ通信 2003年5月号より)


  昔このようなCMがありました。朝、年頃の娘がお父さんに言うのです。

 「今日は彼が来るから、帰ってこないで…」。

 何だこれは〜!聞き捨てならぬ言葉だ。こんなこと言わせておいていいのでしょうか、

 お父さん!でも、これはCMの中の世界だけの話ではなさそうです。

 家庭の中で、子どもたちの心の中で、お父さんの存在がどんどんどんどん薄くなっています。

 いてもいなくてもいい。いや、いない方がいい。単なる給料運搬人…。

 いいえ、違います。お父さんは、家族の大黒柱です。

 お父さんの地位を回復しなければなりません。

 しかし、それには相当の努力が必要です。子どもたちの中で、

 お父さんの存在がどんどん薄くなるのは、

 精神的にお父さんが子どもたちと一緒にいないからです。



 そして、その第一の理由は、物理的に一緒にいることがほとんどないからです。

 (反比例して、子育てにおけるお母さんの負担はますます増大します。

 ささやく新妻は、子育てのストレスから、怒鳴る母親に変身…)

 週日は子どもたちが起きる前から出勤し、子どもたちが寝静まってから帰宅。

 そして、休みの日にはゴロゴロ…。

 でも、これはお父さんだけのせいじゃない。日本は今のところそういう社会なのです。

 お父さんは疲れています。朝は早くからぎゅうぎゅう詰めで、

 1時間も2時間も立ちっ放しで電車に揺られ、

 リストラの恐怖と戦いながら、不景気だというのに業績アップを迫られる。

 上からはこづかれ、下の連中はちっとも思い通りに動いてくれず、こづかいはなし。

 残業時間が減らされても、仕事の量が減るじゃなく、やむなく無給で残業したり…。

 あっちに気を使い、こっちに気を使い、もう神経はぼろぼろです。

 だから、お父さんは叫ぶのです。『たまの休みくらい、ごろごろさせてくれ〜!』

 そんなつらい立場のお父さんの気持ち、よく分かります。

 それでも子どもたちはお父さんとの触れ合いを待っているのです。

 「お父さん、遊ぼ」「お父さん、これ読んで」「お父さん、抱っこして」って。

 お休みの、1時間でいい、いや30分でいい。子どもたちと、

 一緒に何かをする時間(クオリティ・タイム)を取ってあげて下さい。

 一緒にバドミントンをする、一緒に模型を作る、

 一緒に散歩する、一緒にペットの毛づくろいをする…。

 でも、一緒にTVを観るとか、TVゲームをするというのはダメですよ。

 ゲームをするなら、向き合うことができるもの、

 相手を意識することができるものをやって下さい。

 私は牧師です。牧師の営みは、祈ることと聖書を教えることです。

 私が家で祈っていると、子供達が部屋にやってきます。

 彼等はこう言うのです。「お父さん、祈ってもらいに来た!」。「…」。

 そして順番に私の膝の上に乗ってきます。私は喜んでお祈りをしてあげます。

 祈りが終わったら部屋から出て行くかというとそうではありません。

 私の周りで遊んでいるのです。

 私と同じ空間にいたいというのでしょう。

 少しの時間でも子供達と同じ時間に同じ空間にいることの大切さを思わされます。

 子供達はオモチャが大好きです。

 でも子供達がもっとも必要としていうのは親と時間を共有することではないでしょうか。

 第二次大戦中、ヨーロッパで悲惨な体験をした子供達が、

 大勢アメリカに連れてこられたそうです。

 その子供達の援助活動の報告によると、戦乱による恐怖の経験の傷を負った後、

 でも正常な感覚を取り戻ることができた子供は、

 楽しい、良い家庭生活の記憶を持っていた者達だけであったということです。

 愛とは時間をプレゼントすること。心したいものです。ね、お父さん!(テモテ)