秋景色もひとしおの季節となりました。
ご父兄の皆様、ホザナ通信をご愛読下さって有難うございます。
今月もご一緒にいい人生を生きる秘訣を考えてみましょう。
“カーネルおじさん”ことカーネル・サンダースの
評伝「65歳から世界的企業を興した伝説の男」(藤本隆一著)を読みました。
読みながら、今から30年近く前、
高砂に“ケンタッキーフライドチキン”がやってきた時のことを思い出しました。
あの時、高砂が都会の仲間入りをしたように感じましたし、
赤と白の模様、店先に立っているカーネルおじさん、
お箸を使わずに手で食べること等に、アメリカを感じました。
あの店に行ってフライドチキンを食べることが妙に誇らしく思ったものです。
クリスマスが近づくとフライドチキンを食べることが憧れにもなりました。
要するに、私は田舎者だったんです。
また、この書物で、日本はカーネルおじさんの
“秘伝の味”を忠実に守り続けていると知り、
フライドチキンを無性に食べたくなって、お店に行って食べてしまいました。
「これが秘伝の味か…」と感慨深くフライドチキンを噛みしめた次第です。
ケンタッキーフライドチキンは、田舎者だった(今も…)私に、
アメリカを感じさせてくれた青春の味なのです。
そんなフライドチキンを生み出したカーネル・サンダースがクリスチャンであったことは
あまり知られていません。
こんなエピソードがあります。
カーネルが神様の存在をより強く意識したのは、
ガリレーン・チルドレン・ハウスに寄付をしたある時だった。
当時、ガリレーン・チルドレン・ハウスは、
施設の経営を続けていくためにお金を必要としていた。
カーネルは孤児院の窮状を聞き、寄付を申し出たのだ。
ところが孤児院が必要としていた額は、
カーネルの銀行口座に残っている金額よりも多かった。
カーネルは自分もお金に困っていたが、
「自分が助けなければ孤児院はつぶれてしまい、
子供達の行くところがなくなってしまう」と思い、支払えるあてはなかった、
孤児院が必要としているお金の全額を小切手に書いて寄付したのだ。
だが、不思議なことに、その後教会関係の団体客が続けて
彼のレストランとモーテルを利用してくれて、不当たりを出さずに済んでいる。
この体験の後、彼は「神様の名のもとで
活動している人達のために少しでも役に立てば」と考え、
自分のレストランやモーテルを利用した牧師からお金を取らなくなっている。
クリスチャンとしての彼の姿を知ることができ大変嬉しく思いました。
さて、彼の生涯は波瀾万丈そのもので、多くの失敗と挫折を経験したようです。
しかし、彼は、聖書に基づいた『人の喜ぶこと、人に役に立つことを真心を込めてする』
という信条をもってそれらの苦境を乗り越えてきたのです。
彼は自伝の中でこう語っています。
「何をするにしろ、神様が味方してくれないようなやり方をして、うまくいくはずがない。
神様が応援してくれないようなものが成功するはずがない。
多くの人がこのことに気がついていないのは残念だ。
どんな苦しい時でも神様に敬意を持つことを忘れずに生きていれば、
必ず神様が救いの手をさしのべてくれる」と。
聖書の神様を信じていたカーネルおじさんにとって、
どんな失敗や挫折も、もう一度やり直すチャンスや、
何か新しいことを始める機会を与えてくれるものであったのです。
特に、彼が65歳という老齢に達して、成功をおさめていたレストランが破綻して、
無一文になってしまった時がそうでした。
この惨事が、ケンタッキーフライドチキンを世界に広めるキッカケとなったのです。
彼は年金暮らしにはいることを良しとせず、
彼秘伝の11種類のスパイスを効かしたフライドチキンの調理法を商品として売り出し、
世界的フランチャイズ企業を興していったのです。
カーネルおじさんは、生涯において何回となく困難に遭遇して挫折を味わっても、
その度に必ずそこから何かを学んで立ち上がっていきました。
結果的に一つひとつの挫折が彼を更に大きくしていったのです。
信仰は、弱い人間の逃げ口上に過ぎないと思われがちですが、
決してそうではありません。
信仰は、本当の強さを与えるものなのです。
どんな状況の中に陥っても、そこから何かを学び取り、
希望と将来を創造していく力、それが信仰なのです。
自殺者が3万人を超える日本において、聖書の信仰が必要です。
社会で戦っているお父さん、聖書の信仰をちょっと覗いてみませんか。
必ず何かが変わってきますよ。
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