若葉の輝きに満ちた季節、夏ももうすぐです。

 我が家のカブトムシもサナギになり、今や遅しと成虫となるのを楽しみにしています。

 ホザナ通信を読んでくださっているお父さん、お元気ですか?

 今月も私の拙い文章をキッカケに人生を考えてくだされば大変嬉しく思います。

  さて、「がん哲学」(樋野興夫著)という書物は大変興味深いです。

 病理学者である著者は、ガン細胞から人生や人間社会を問い直し、

 様々な教訓や知恵を提供してくれています。

 その中から一つ分かち合いたいと思います。



 「がん細胞は自分を変えて転移する」

 ―痛みを伴う変革―

  ガン細胞の大きな特徴の一つに、置かれた環境に応じ、

 自由に表面(顔つき)を変化させてしまうということがある。

 それ故に転移が可能になる。

 正常細胞には、そのような融通性はない。

 たとえば肝臓を構成している正常細胞は、他の臓器で生きることなど通常できない。

 一方、ガン細胞は、自らの形に固執しない。

 与えられた環境(異文化)に合わせて自分を変化させ、

 そこでたくましく生きる(「郷に入っては郷に従え」)。

  今の時代私たちを取り巻く環境の変化は余りにも早い。

 変化に応じて柔軟に発想を変え、自らを形作ってきた枠をも大幅にはずしていかないと、

 最早生き残れなくなっている。

 環境の変化を素早く感知し、将来を見据えた判断が求められる時である。

  自らのあり方にこだわりを持たず、自らを臨機応変に、自由自在に変化させ、

 たくましく生きるガン細胞の知恵に、私たちは学ばねばと切実に思う今日この頃である。

  「世の改革者は、自ら改革されないで、改革された社会に住むことを望む。

 よって真の改革は何一つ出てこない」とは、正に真理である。

  人が、自らを変革することは、何と難しいことであろうか。

 自らを変革しようとする時、必ず犠牲と痛みが伴う。

 犠牲、痛みなくして、自らを変えることは不可能ではなかろうか。

 そして、それは胆力を必要とする。



 誰しも、従来慣れ親しんできた方法を捨て、

 あたらしい物事にチャレンジしようとする時には、大きな不安がある。

 しかし、思い切ってチャレンジした時、その人は質的な変化を遂げているのであろう。

  「誰にもできるが、どこにいてもできない」人物と、

  「どこにいてもできるが、誰にもできない」人物の二種類がある。

 後者が本物であろう。

  ガン細胞は、あたかも階段を上るごとく、出会い(hit)を経験するたびに質的に大きな変化をし、

 成長を続けている(「連続の不連続性」)。

  吉田富三が、「人体の中で起こっていることは、

 社会と連動している」と説いているように、ガンの成長過程に学び、

 良き出会いを重ねつつ、質的変化を経験しながら大成していきたいものである。



  成る程と思いませんか。自己変革できる者こそが大成するのです。

 私たちはいつまで経っても周りの人々を変えようと必死になりますが、

 それは無駄な努力に終わることの方が多いのではないでしょうか。

 『過去と他人は変わらない』のです。自己変革をしていく時に周りが変わっていくのです。

  お父さん、職場や家庭、また様々な出来事を通して自己変革を迫られることはないでしょうか。

 意地を張るのではなく素直になることを求められたり…、

 やっつけることでなく負けることを求められたり…、

 優しさではなく厳しさを求められたり…、性急でなく待つことを求められたり…。

 生きている限り人間として成熟し続けるものでありたいですね。

 聖書には、神様は陶器師で、人間は粘土であるという譬えがあります。

 神様は様々なことを通して私たちを成熟させ、

 世界で唯一の芸術作品に造りかえようとしておられるのです。


                                 


おとうさん出番ですよL (ホザナ通信2004年5月号より)