真新しいランドセルを背負った一年生の姿がほほえましい今日この頃です。
お父さん、お元気ですね。
今月も共に親としてのあり方についてご一緒に考えましょう。
私は子供達の寝顔を見ていてよくこう思います。
「よくぞ、私のようなところに生まれてきたなぁ…、ありがとう」って。
ホザナ通信をお読み下さっているお父さんは、子供の寝顔を見てどんなことを思いますか?
さて、アメリカで起こったこんな逸話ありますので、ご紹介致します。
ロスアンゼルスのある教会に、ある中年の夫婦がいました。
二人には、何故か子供がいなかったのです。
子供の好きな夫婦は、なんとか子供が与えられるよう、祈り続けてきました。
ところが、結婚15年目に祈りがかなって、ようやく妊娠しました。
二人は狂喜しました。やがて産み月が来て、赤ん坊を無事に出産しました。
出産しましたが、その赤ん坊は重いハンディを負っていたのです。
初めてその顔を見せられた夫は、顔面蒼白となりました。
それがどんなものであったのか、具体的には分かりませんが、
夫はその子の顔を妻に見せたくありませんでした。
看護婦に見せないでほしいと頼みもしました。
が、看護婦はその子の顔にガーゼを軽く掛け、
待ちかねている妻のところに抱いていったのです。
夫はしおしおと、その後についていきました。
妻のショックと嘆きが目に見えるようでした。
何も知らぬ妻は、看護婦が病室に入ると、声を上げて喜びました。
ですが、看護婦がその顔のガーゼを取ったとたん、妻の顔は驚愕に硬直してしまいました。
妻はやがて目をそらし、壁の方を見て何も言わなかったのです。
長い沈黙が続いた後、ようやく妻は夫の方を見て口を開きました。
「あなた、ごめんなさいね」
妻は先ず夫の詫びました。そして言ったのです。
「神様は、随分長いこと、この子をどこの家に生まれさせようかと、迷っていらっしゃったのね。
この子をどの夫婦に育てさせようかと、お考えになっていらしたのね。
そして私達夫婦をこの子の親に選んでくださったのね。
神様が育てなさいとおっしゃったこの子を、二人で大事に育てましょうね。」
この妻の言葉に、夫は激しく心を打たれました。
15年祈り続けてようやく与えられた赤ん坊でありました。
その赤ん坊がハンディを負っていました。いったん驚きましたが、妻はすぐさま立ち直りました。
真剣に神に祈った故に、立ち直ることが出来たのです。
この奥さんのような思いで、私達は自分の子供達を
見つめ直さねばならないのではないのではないでしょうか。
幼児虐待という悲しいニュースをよく耳にするようになり、
親はどうなってしまったのかと大変心が痛みます。
子供は親の所有物だと思っているからそうできるのでしょうか。
子供は造るものではありません。授かるものですよね。
授かるという以上、親の意志を超えた何かが働いているのです。
人間を超えた意志に親は精一杯応答していかなければならないのだと思います。
レイナ・マリアさんをご存じでしょう。
彼女は原因不明の奇形児として誕生しました。
両腕がなく、左足は右足の半分までしかありません。
生まれてきた赤ちゃんが奇形児であると知らされた両親は非常に苦しみました。
しかし、信仰の篤かった両親は神様に熱心に祈り、
この事実も人知を越えた神様の計画の中にあると確信するに至りました。
その当時、こういう子供は、親元ではなく施設で育てるケースが多かったようですが、
父さんが「たとえ腕がなくても、この子には家族が必要だ」と言い、
レーナさんは家族に囲まれ成長することになったのです。
彼女があのように輝いた人生を生きることができるのは、
彼女の存在をそのまま受けとめた両親の愛と信仰によるといっても過言ではありません。
お父さん、子供を育てることは本当に大変です。
でも、あなたの子供は神様から預けられた大切な存在であることを、
いつもとは言わずとも、時々確認したいものですよね。
そしてその子に与えられた才能と使命を引き出して上げるための環境を作って上げられたら
どんなにか素晴らしいでしょう。
また、子供に対するこのような見方は、即、人生にも適用することができます。
人生には必ず不都合なことが起こってきます。
しかしその出来事は単なる偶然ではなく、
その背後に神の意志と計画があることを汲み取っていくのです。
神は愛であって、必ず良きことをなして下さるお方なのです。
そうする時に、あなたの人生は大きく祝福されるでしょう。
目に見える現実の中で戦っているお父さん、
この現実を包み込んでいる神様の世界に少しでも心を向けてみませんか。
すると、お父さんとしても社会人としても大きな変化が訪れてくることでしょう。

|