2006年9月号


  ☆ この宝を土の器の中に ☆
         
  運動会で一生懸命がんばる子ども達の姿、輝いていましたね。

 デジカメやビデオカメラを手に、

 親御さん達もすっかり大興奮だったことと思います。

 私も運動会のことを思い出す時がありますが、

 誰か一人は徒競走やリレーの中でこける子がいたものです。

 「うわぁ、痛そう…」、「大丈夫かな?」と心配しつつ、

 「でも最後まで頑張れ!」とみんなで声援を送ったものです。

 そしてその子が自分で立ち上がって、

 あきらめずに走り、ゴールした時には、

 まるで自分のことのように嬉しかったことを覚えています。

        

  私達の歩む人生、また子ども達が歩む人生、

 何事もなく順調に行ってくれたらいいなぁと思います。

 でも、その中で周りから苦しめられることがない人や

 途方に暮れることがない人、

 倒されることがない人は一人もいないのではないでしょうか。

 皆それぞれに困難にぶち当たる。

 つまずき倒れることがある。

 それが私達の現実です。

 だとするならば大切なのは、

 その後どうなっていくか、ではないでしょうか。

            
  「大切な子ども達だから幸せであってほしい」、

 親であれば誰もが願うことです。

 だからこの子達が苦しむこと、つまずくこと、

 困ってしまうことから守ってあげたい、

 そう思うかも知れません。

 実際、赤ちゃんや幼少期、

 子供達は両親からの多くの守りを必要とします。

 けれども考えてみて下さい。

 私達は幼稚園の送り迎えはできても、

 毎日一緒に園の中で過ごすことはできません。

 宿題を見てあげることはできても、

 テストの時そばにいて、答えを教えてやることはできません。

 応援することはできても、運動会で代わりに走ってやることはできません。

 学校の人間関係で悩む時、話しを聞いてあげることはできても、

 やっぱりまた送り出さなくてはいけない存在です。

 病気で苦しむ子を見ながら、

 「代われるものなら代わってやりたい」とどんなに思っても、

 そうすることはできないのです。  
                                     
 私たちの愛する子が、

 その子自身がその問題を乗り越えて行かなくてはいけないのです。
                              
  
                                   
   

  では心がくじけそうになる時、痛みを覚える時、

 そんな“タイセツナトキ”何が子ども達を支え、

 あきらめないねばり強さを与えるのでしょうか?  

 何が彼らに希望を与え、次に進む勇気を与えるのでしょうか?


  四方から苦しめられることがあっても窮しない。

 途方に暮れても行き詰まらない。

 迫害にあっても見捨てられない。

 倒されても滅びない。

 これが、イエス・キリストという宝を心に持っている人だと

 聖書は言っています(Uコリント4:8−9)。

 つまりこの宝があれば「大丈夫だ」と。


  「大丈夫」この三文字がいつもある、

 これは本当に大きなことだと思いませんか?

 「でも大丈夫」と言えたら、

 その前に何が来るかは関係なくなるんですから。

 「○○があっても大丈夫」。「△△になっても大丈夫」。

 人から見てどうかではなく、

 自分を取り巻く状況がどうかではなく、私の心の中は大丈夫です!

 と言える本当の強さがここにあります。

          

  聖書は私達を「土の器」と表現しています。

 金の器でなく銀の器でなく、土の器だと。

 それは欠けもすればヒビもいく、もろく壊れやすいものです。

 でも器にとって大事なのは、その見た目ではなく、

 中に何を持っているかです。パウロという人は言いました、

 「私達はこの宝(イエス・キリスト)を土の器の中に持っている」

 (Uコリント4:7)。

 だから、四方から苦しめられることがあっても窮しない。

 途方に暮れることがあっても行き詰まらない。

 迫害にあっても見捨てられない。

 倒されても滅びないのだと。


  子ども達にとって困難の多い時代です。いつの時代でもそうですが、

 今は特に心にとって困難の多い時代です。

 そんな今、親としてできる最高のことは、

 子供達の心の中にこの宝を持たせてあげることではないでしょうか。

 決して器の外見を着飾ることではありません。

 器を無理に大きくさせることではありません。

 金メッキを塗りたくることではなく、土の器の中に、

 その器そのものを輝かせ、

 生きる力を与えていく「イエス・キリスト」という宝物を持つように導いていく、

 これこそ私達にできる最善なのではないかと思わされています。

                              教育主事 小森仁美