2009年2月号

☆「奇跡のリンゴ」から生き方を見つめ直す ☆

                    

  梅のつぼみもほころび始め、春がそこまでやってきました。そして我が家の次女も4月の小学校入学を心待ちにしています。

  さて、私は「奇跡のリンゴ」(「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録 石川拓治著)を読みました。

 この書物はリンゴ栽培の記録に留まらず、人間の生き方についても深く考えさせられる一書です。 

 私は食後のデザートにリンゴをよく食べますが、この本を通して初めてリンゴの木が接ぎ木で大きくなること、

 リンゴ畑に雑草が生えないようにキレイに手入れすること、収穫までに13回ほど農薬散布をすること、

 それ程リンゴの木が弱く、人間の保護が必要不可欠であることを知りました。

  ところが木村秋則さんは無農薬・無肥料でリンゴを栽培することにチャンレンジし始めたのです。

 8年間というもの、リンゴの収穫ができませんでした。

 収穫ができないばかりでなく、害虫に喰われ、病気にやられ、800本のリンゴの木の内半数が枯れ始める始末です。

 リンゴ農家ですから収穫がなければ収入はゼロ。家計は困窮を極めました。

 無農薬・無肥料の夢にこだわり続ける自分のせいで家族を貧乏のどん底に陥れてしまったと深く落ち込み、

 木村さんは自殺の決意をもって夜山に登りました。

 ところがそこで転機が訪れたのです。

 山のドングリの木が無農薬・無肥料で立派に育っているのを発見したのです。

 そしてその秘訣がドングリの木の周りに密生する雑草が造り出す土壌にあることに気付いたのです。 

  木村さんは早速そのことを実験し始めました。

 リンゴ畑に大豆を蒔き、山の土を再現し始めたのです。木村さんの畑はジャングルのようになりました。

 しかし畑の土は確実に山の土のように肥沃になっていきました。

 大豆を蒔いて3年目に、1本のリンゴの木に7つの花が咲いて、秋に2個のリンゴを収穫。

 木村さんのリンゴの木の根は、他の畑のそれよりも2倍以上深く広く張りのばし、

 害虫や病気に負けない丈夫な木に育っていきました。

 そして無農薬・無肥料栽培を始めて9年目、遂にピンポン球のようなリンゴを山ほど収穫できたのです。

 それから更なる工夫を重ね、「奇跡のリンゴ」が完成致しました。

 このように育てられた木村さんのリンゴはリンゴ本来の味がして、腐らないそうです。 

  何度も農薬を散布し、肥料を充分に与えることは、リンゴの木を周りの自然から隔離して無菌室状態に置き、

 しかも24時間点滴で栄養補給をしているようなものだと言えます。

 確かにこの方法によって、立派なリンゴを大量生産でき、私たちはその恩恵にあずかってきました。

 ところがリンゴの木そのものは脆弱きわまりないものになってしまっているのです。

 ところが木村さんのリンゴの木は違う。

 自然と一体となり、無農薬・無肥料の中で充分根を張りのばし、たくましく育っている。

 当然、その木に実るリンゴには自然の命があふれているのです。

                     

  薬漬けの無菌状態に栄養剤の補給。

 その姿は現代社会に生きる私たちの姿ではないでしょうか。

 「奇跡のリンゴ」の記録は、そんな私たちに大きな課題を突きつけているように感じます。

 特に子供達を育てる私たち親自身、便利さ、豊かさばかりを求めすぎて、いつの間にかひ弱な自分になり、

 ひ弱な子育てをしているのではないかと思わされます。

  聖書の言葉を紹介しましょう。

 『肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、

 たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。

 しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。』ヘブル12章10−11節 

  神様は自然と人間の造り主として、私たちにたくましく成熟してほしいと願っておられます。

 そのために神様は時に試練を与え、私たちに本来備えられている生命力を引き出そうとされるのです。

 人生に起こり来る様々な問題や困難を、そのような神様からの試練として受け止め歩んでいきたいものです。

  読後「木村さんのリンゴを食べたい!」と思い、インターネットで調べると既に売り切れ…。

 注文を受け付けてから抽選で当たった人だけが購入できるらしい。

 今年の秋には食べるぞ!と祈りを捧げた私でありました。

                               教会学校教頭 新谷和茂