2009年1月号

☆ 人間の本当の自由 ☆

  冬来たりなば春遠からじと申します。確かに気温は寒くても、自然界のどこかで春は芽生えてきているのでしょう。

 春が待ち遠しいですね。
      
              
  さて、先日テレビのニュースを見ていますと、松本サリン事件の被害者である河野義行さんのことが報道

 されていました。なんと河野さんと元オウム信者の藤永孝三さんとが交流をしているとのことでした。


  藤永孝三さんは、オウム信者時代、教団の命令で保冷車を噴霧車に改造。彼は使用目的は聞かされて

 いませんでしたが、教団の命令は絶対で、従わざるを得なかったのす。数ヶ月後、松本サリン事件が勃発。

 藤永さんは殺人ほう助などの罪で懲役10年の刑。そして2006年3月に刑期を終え出所しました。

  3カ月後、「松本の事件に自分なりの献花をしたい。河野さんや他の被害者の方々に何かできることは

 ないだろうか」と、知り合いの紹介で河野さん宅を訪れて謝罪したのです。深く頭を下げ、

 「申し訳ありませんでした」と一言。緊張でそれ以上言葉が出ませんでした。河野さんは「10年の刑期を

 終えたんだから」と意外にもあっさりと迎え入れてくれたのです。

  以来、刑務所で身につけた造園の技術を生かし、河野さん宅のモミジなど庭木の剪定を買って出る

 ようになりました。山口市から月1回ほど通い、20回ぐらいになっているとのこと。河野さんは今、

 藤永さんを友人の一人として付き合っています。河野さんは「加害者とか被害者という感じは僕の中では

 ない」と話していました。

                        
  私はこのニュースを見て関心を持ち、早速、河野氏の著書「命あるかぎり−松本サリン事件を超えて−」を

 購入し読みました。河野氏の生き方に様々に教えられました。特に次の言葉に惹かれました。
 

  『私は、裁判が始まった当初から関心をもって裁判の進展を見続けていこうと思っていたが、

 麻原被告に対する恨みの気持ちは消えてしまっていた。こんなにもひどい被害を受けたのに、

 このうえさらに事件の首謀者を恨み続けるような人生の無駄はしたくないと考えているからだ。

 人を憎んだり、恨んだりすることは、かぎりある自分の人生をつまらないものにしてしまう。さらに、

 その行為はとてもエネルギーがいることだ。それだけのエネルギーを使うのなら、

 澄子の介護を含め、もっと別な、より有意義なことに使いたい。それが私の本音なのである。』

              

  すごい言葉だと思いませんか!この言葉に河野さんの人生哲学が凝縮されていると思いました。

 人生の主導権を状況や他人、過去、更には自分の感情にさえ明け渡さず、しっかりと自分の意志の

 下に置き、人生をより有意義に生きるための選択をしているのです。これこそが人間に与えられた

 自由ではないでしょうか。

  アウシュビッツ収容所から生還したユダヤ人心理学者ヴィクトール・フランクル氏がその収容所に

 送られた時のことです。彼はナチス兵達に身ぐるみ剥がされ囚人服を着せられ、更には名前さえも

 奪われて囚人番号が付けられました。その時、彼は目の前にいるナチス兵達に向かって心の中で

 宣言しました。「おまえ達は私から全てを奪い取った。しかしおまえ達にも奪えないものがある。

 それは、人間の最後の自由。いかなる状況のもとでも自分の態度は自分が決め、自分の生き方は

 自分で選ぶという自由である」と。


  聖書にはこういう言葉があります。

 「自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのである。」ガラテヤ5章1節


  あなたの過去がどんなにひどくても、キリストはあなたの過去を全て赦し、あなたを束縛している

 ものを打ち砕いて、あなたの手に人生の主導権を取り戻させてくださるのです。そしてキリストはあなたに

 生き方を選び取れる自由を与えてくださいます。人生は選択の積み重ねによって形成されます。

 キリストが与えてくださる自由によって、人生を見つめ直し、選び直しをしてみませんか。

                                      教会学校教頭 新谷和茂