2006年6月号

☆ 小説「ダ・ヴィンチ・コード」って? ☆

  ホザナ通信をお読みのお父さん、お母さん、お元気ですか。

  さて、いきなりですが、皆さんは『ダ・ヴィンチ・コード』の小説や映画、

 それに関連したTV番組をご覧になったでしょうか。

 『ダ・ヴィンチ・コード』の小説は、

 '03年に発売されて以来、全世界で4000万部近く売れ、

 日本でも'04年に発売され1000万部を突破したという、

 異例のベストセラーです。

  
 
 また、今年5月20日には、映画も世界に一斉公開され、

 キリスト教関連映画としては記憶に新しい「パッション」よりも、

 いろんな意味でキリスト教関係者を含め、

 それ以外の方々の関心をも寄せた話題ではないでしょうか。

 職場では、今までキリスト教の「キ」の字も

 言われたことがありませんでしたが、

 映画を観られた2人の方から「ダ・ヴィンチ・コードの謎を教えて!

 キリスト教のこと、知ってるんでしょう」と聞かれた時には、

 世間の流行にはみんな乗せられるものなんだなぁと思いました。

 私も、「現代社会とキリスト信仰」という神学校の授業の一環で、

 いち早く小説と解読書や関連本を数冊読んでいましたので 

 世間に一応ついていっているといえるでしょうか(笑)。

 今月は、この話題になっている「ダ・ヴィンチ・コード」から

 「先入観をはずして物事をみてみる」

 という視点でお話したいと思います。

 
  『ダ・ヴィンチ・コード』を読んで見ると、

 衝撃的な「事実」が明かされます。

 その事実とは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた

 「最後の晩餐」にはコード(暗号)が隠されており、

 イエスの隣にいるのは、

 愛弟子のヨハネではなくマグダラのマリアであるということでした。


  マグダラのマリアは、イエスの母マリアとは別の女性で、

 イエスの生活を支え、イエスが十字架にかけられた時に立ち会い、

 イエスが葬られた時、墓に真っ先に行き、

 イエスの復活をも、最初に知った女性として

 聖書に書かれているマリアのことです。

 このマリアは後に、

 娼婦であった罪人の女性と同定されてしまいました。

 このマリアとイエスは、実は夫婦で子どももいた。

 そのことが、「最後の晩餐」に象徴されているというのです。


  更に、そのイエスの血脈は、

 中世フランスのメロヴィング朝に引き継がれ、

 隠された聖杯とは、まさしくこの子孫が存在することであり、

 その秘密を千年間、守り続けてきたのが

 シオン修道会という秘密結社の存在です。

 大筋、このような流れをメインテーマとしています。

 その、ネタ元の一つとなっているのが、

 『ピリポの福音書』というキリスト教の正典(聖書)からはずされ、

 異端とされているグノーシス主義

 (キリスト教の形式をとった異質な教え)の書物ですから、

 正統なプロテスタント・キリスト教や

 ローマ・カトリック教会としては、

 こういったことまで「事実」であるかのように

 書かれたことに対しては、たまったもんじゃありません。


  「事実」であるか別として、

 私がこの小説を読んだ感想は、「おもしろい」ということです。

 だって、最後の晩餐のヨハネが

 「女性である」と言われれば、女性に見えてきたから不思議です。

 今まで、何も考えずに見てきたものが、

 ちょっと違う視点からみる、

 先入観をはずしてみると違って見えてくることを、

 この最後の晩餐で実感したのです。


  もう一つの点は、イエスに子どもがいたということです。

 キリスト教の常識からすればとんでもない事になりますが、

 案外、面白い発想だと思うのです。

 先入観を外して異端といわれるグノーシス主義を見てみますと、

 今まで知らなかった初期キリスト教の姿も今回、知ることになりました。

 実に多種多様のイエス観があり、

 当時はそれも含めて確かにキリスト教であったのです。

 単純に「これは、違う」と端から決め付けて物事を見てしまうと、

 見えるはずのものまで見えなくなってしまうことがあるのですね。


  まっ、実際、歴史的な「事実」としましては、

 絵画でのヨハネは、若いという特徴を出すために、

 ダ・ヴィンチ以外の画家もヨハネを女性的に描いていますし、

 グノーシス主義の『ピリポ福音書』をネタにしているのなら、

 人間的なイエス像は逆にあり得ない訳で、

 マグダラのマリアとの結婚もおかしくなってしまうものですから、

 この小説は、あくまでもフィクションとして

 楽しめばいいんじゃないかという結論にいたしましょう。


  いろいろな良し悪し、真実か虚構か、はあると思いますが、

 私としては、この本を通して、

 クリスチャンでない方がけっこうたくさん

 キリスト教に興味を示したことは、

 結果的には良かったのではないかと思いますが、

 皆さんはどうですか?


                          神学生  藤原みつえ