澄み渡る秋空に赤とんぼが飛び交う季節となりました。
皆さんお元気ですね。
さて私は「ロックフェラーが知っていた『もうけ方』」(イ・チェユン著)という本を読みました。
皆様もロックフェラーという名前をお聞きになったことがあると思います。
またニューヨークにあるロックフェラーセンターの前に飾られる
巨大なクリスマスツリーを雑誌やテレビ等で見たことがあると思います。
彼は19〜20世紀のアメリカの大富豪です。
今日、大富豪と言えばマイクロソフト社のビル・ゲイツが挙げられるでしょうが、
ロックフェラーはビル・ゲイツを3倍も上回る大富豪でした。
彼は高校を卒業すると、直ぐに小さな会社の事務員として就職しました。
早朝6時30分には出勤して仕事をし、毎日、日記代わりに会計帳簿を記録しながら、
資金の流れと社会情勢の変化を詳しく把握するようになりました。
20歳になって彼は、当時新しい事業として現れた製油事業に大胆に投資をし、
スタンダード・オイル社を創設します。
彼は、現場に密着した経営方式で優位に立ち、同業者を次々と吸収合併し、
アメリカ国内の石油生産の95%を獲得、遂に世界最大の石油会社に成長させました。
一般的に彼は無慈悲な経営戦術で事業を展開し、多くの人々の反感を買いながら、
億万長者の道を歩んでいったと言われています。
確かに彼はビジネスの上では緻密且つ冷徹で、人々の嫉妬や誤解を買ってしまいました。
結果、ルーズベルト大統領によってロックフェラー財閥は解体されてしまいます。
しかし、真実のロックフェラーはそうではなかったようです。
ロックフェラーの生涯に最も影響を与えたのは母親でした。
信仰深い母親は息子に幼い時から次の3つの約束を守るように教えました。
@十分の一献金を捧げること(聖書には、収入の10%を神様にお返しすることによって、
神様は豊かな祝福で報いてくださる、という約束があります)。
A教会に行ったら一番前の席に座って礼拝を捧げること。
B教会に素直に従い、牧師を悲しませないこと。
彼は一生母親との約束を守りました。教会では教会学校の教師や会計役員を勤めました。
どんなに忙しくても日曜礼拝を欠席することなく、収入の十分の一を神様に捧げました。
世界一の富豪になった後も、十分の一を計算するための担当部署に、
40名の職員を雇うほどだったのです。
彼が50歳代になった時、予想もしなかった病気になってしまいました。
数枚のビスケットと水しか食べることができず、不眠症に悩まされました。
医師は彼に余命1年と宣告。死に直面したロックフェラーは、集める人生の虚しさを痛感します。
お金のためだけに生きる人生は破滅の道であることを悟ったのです。
以後彼は慈善事業に専念するようになりました。
野口英世も所属したロックフェラー医学研究所、ロックフェラー財団を設立し、
シカゴ大学など12の総合大学と12の短期大学、
4,928の教会を建てて、社会に貢献していきました。
彼は言います。「私のお金を稼ぐ才能は、神様から頂いた賜物であると信じています。
このような素晴らしい神様の賜物を受けているのですから、
お金を稼いでそれをまた増やして得たお金を、
主のみこころに従って用いることが私の使命であると考えているのです。」
彼の98年の生涯の根っこにはいつも母親の教えがあり、
それは彼にとって座右の銘となり、最も大きな遺産になったのでした。
日本にも「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、
幼い子供にとって親(親代わりの人物)の影響力は良い意味でも悪い意味でも絶大です。
私達親は子供達の長い人生にとって何が重要かを考え、
本当に大切なものを伝えてあげたいものです。
最後にロックフェラーの母親が亡くなる時に息子に残した「10の教え」を紹介して終わります。
@実の親以上に、神様に仕えなさい。
A神様の次に、牧師に仕えなさい。
B右のポケットには、常に十分の一献金を用意していなさい。
C誰であっても、敵をつくらない。
D礼拝を捧げる時には、いつも一番前の席に座りなさい。
E朝はいつも、その日の目標を立て、神様の御前で祈りを捧げなさい。
Fねる前には、必ず一日を悔い改める祈りを捧げなさい。
G他人を助ける力がある時は、精一杯助けなさい。
H日曜礼拝は必ず、所属している教会で捧げなさい。
I朝、目覚めた時に、先ず神様の御言葉を読みなさい。
教会学校教頭 新谷和茂
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